2024年08月15日

人生何があるかわからないから面白い

いろんなタイプの人がいると思います。

私はちょっと個性的な方で、自分がやりたいと思ったことを我慢するのが苦手な子供でした。

大きくなってからもその傾向は強く、嫌なものは絶対嫌だし、やりたいことは騒ぎ立てるか隠れてでもやったりするような子でした。

でも、ちょっと小賢しいところもあり、大人にとがめられずにやりたいことをやるためにはどうしたらいいか?なんてこともよく考えてましたし、

嘘をつく時はその嘘が本当だと自分も思い込んだ方がバレにくい なんてとんでもないことを考えたりしていた記憶があります。

だけど、実際は嘘はいずれバレるし、嘘を誤魔化すための嘘をつかないといけなくなり

物凄く面倒くさいことになる という事が分かり、嘘をつくことはやめたのでした。

悪いこともやってみて初めてそれをしない方がいい理由がわかる という体験型学習 (笑)

しかし、そんなとんでもないことをやってて親を誤魔化せたのは、

うちの両親があまり子供に興味がなかったからかもしれません。

子供心にうちは放任主義なんだな と思っていました。親の監視がないので、ある意味好き放題 と言いたいところでしたが、

親の決め事だけは絶対 だったので、門限とか、あと、高校生の頃は軽音楽部に入るのを許されなかった(軽音に入ると不良になると思ってたみたい)とか

割と偏った親の価値観の縛りはありました。

でも、子供の様子に無頓着でしたので、中学生の頃、いじめにあって思いつめていたのに気づいてもらえず、担任の先生から報告があって知った時も

「もう解決したならいいです」というような反応でした。

当時、母はワンオペ育児で年の離れた幼い妹もいて大きくなった子のことまで気にしている余裕がなかったんでしょうね。

いじめ以降私が対人恐怖症になっていたのですが、何のケアもないまま時間が経ち、気が付くと15歳で摂食障害になってました。

そこから すごく偏った世界観で若い時代を過ごし、自分の病状を親に隠し、親も見て見ぬふりをして十年ほど経ち、

親に何か期待しても何も取り戻せないとわかったのが25歳。

親が子供の愛し方を知らず、自己承認を出来るようになるためには 自分で自分を育て直さないといけないのだ ということがわかったんですね、

それから、その方法を探すんです。 どう生きるべきか? 何が足らなくてこんなこと(摂食障害)になっているのか

どうしてパニックがやってくるのか? どうすれば普通に生きれるのか? どうして私は普通じゃないのか?

そう、普通じゃない と思ってた。

でも、何が普通なんだろう?

世間でうまくやっている人みたいにできていないことは確かだ。

この、まるで悪魔がついたかのような病気は、自分の意志でどうすることもできない。 私の人生は最悪に見えました。

摂食障害やその他の依存症の原因は、意識のベースに在る不安や恐怖からの逃避なんです。

その原因の方が漠然としすぎていて、恐ろしすぎて直視できないので逃げる。

もしかして、私は誰かも愛されないのではないか こんな私では。。。 という恐怖です。

条件付けされた愛で育てられると そういう風になるようです。

いい子で居れば大好き。おりこうさん よくできた子 などなど。

本当の子供の気持ちは親は興味がなかった。なにをするか 何を言うか だけしか見ていなかった。

それは、その親自身が そのように扱われた経験がない ということ。

愛情深く育てられたことがない人は愛し方がわからない。

それはけっして子供に愛情がない というわけではないんです。

子供は幸せに育てられるべきだし、守らなきゃいけないと真剣に思ってる。

でもそれがすごく形にとらわれたもので 良いであろう型にはめることが子育てだと勘違いされたんですね。

自分自身もその価値観で必死で型にハマろうと生きて来た ということ。

真面目であるがゆえに。

元凶はなんでしょうか?

無知である ということです。

これが仏教でいう 無明(むみょう)

法(この世界の法則)つまり真理を知らない ということ。

でも、真理ってなんだ? という問題も その答えを知る人がすごく少なかったのですから

責めるのも酷ですよね。

人類がありとあらゆる、残念な体験を通して

本当に幸福になれるためのヒントを探す 壮大な旅 ですよね。

この意識の進化が 本当の進化じゃないのか と 私は思うのですが、

そのために 極端にまずい例を体験してみて、真理への渇望を得て そして 見つかるんですよ。

 

今の情報化時代に 真理 宇宙の法則 は

瞬く間に求めていた人たちの元にひろがってゆくのです

苦しむ者は幸いです というのはキリスト教の言葉でしょうか

今 人生に行き詰っている人はターニングポイントです。

そして新たな価値観、いいえ、価値観にとらわれない世界観で生きて良いのです。

自分の求める生き方をしていい。誰かの意見に惑わされなくてもいいのです。

私達自身が 基準を 形のない「愛」に置けば、すべては癒されていきます。

一人一人形は違うけど あるがままで許し合える世界

それが天国の生き方なのです。だれも、非難せず、非難されず。

傷は癒すもの。手当するもの。

命を養い慈しむ。

誰もがあるがままで尊いのです。

怖れを手放して この世界を信頼したなら、不安は消える。

死すらも恐れる対象にはならなくなります。

人生は長ければ良いというものでもなく

あなたが何を体験したかが大事。

その体験を止める必要はないのです。

どんな体験も最終的にあなたに愛を教えるでしょう。

本当はこの世界に愛されているということを知ります。

命を持って生まれてきたことが祝福なのですから。

誰よりも自らが自分を愛してください。尊い命として。

そして、人を助けた時、またあなたも助けられ

あなたが人を愛した時、あなたも人から愛される。

あなたを愛するのは(他者に姿を変えた)あなたなのです。

あなたが本気で信じる世界が あなたの前に展開します。

美しい地球  美しい日本

あなたは日本の美しさを知っていますか?

あなたは愛の美しさを知っていますか?

あなたはあなたの中の愛を知っていますか?