2024年08月14日

災害の話題から

近年、大きな自然災害が増えていますね。

激動の時代に突入した と言われてしばらく経ちます。今をピークに前後50年、トータルで100年で世界の意識が入れ替わる と瞑想マスターが言っていました。

今はそのピーク、ありとあらゆる試練に人類は揺さぶられます。

人間自ら愚かなことを引き起こしたり、社会システムが崩壊したり、善良に生きてきてつもりなのに自然災害に見舞われたり。。。

自然災害が起きると被災者の方々は大変困ります。なぜこんな目に合わないといけないのか、

なぜ自分が被災者なのか

大事な人が亡くなったり、家を失ったり、人生が絶望的に感じられたりされる事と思います。

なぜ、神様は私たちをこんな目に遭わすのか 恨めしく思うこともあるでしょう

人生の中の予想外の大変な事。

それは私たちの意識を揺さぶって変容させるきっかけとして与えられます。被災者の方々だけに与えられた試練ではなく、そのことを見聞きする人々まで

それは試練なのです。多くの人々をきづかせるために起きる揺さぶり。

大切なものは失ってみて初めて気付くもの。 依存しているモノが引き剥がされたり、この世は何がおきるかわからないものであること

与えられたものは永遠ではないこと 自分の無力さや、自分たちの無力さ、

逆に、危機的状況における愛の発動。純粋な愛が発揮される機会

助け合うことで実現する 天国式の関わり(与え合いサポートしあうこと)

私たちの力というのは1人だけでするものではない ということ

奪い合うよりも与え合うことで世界は変わる事 地獄とは 天国とは

そんなありとあらゆる諸々の要素が、日常の均衡を破って、目の前に現れる。

エゴはどう動くか、愛はどう動くか あなたはどちらを選びたいのか。

ささいなことにこだわっていたことが いかにどうでもよかったか。

本当に大事なのは命があり愛があること

エゴが吹き飛び、むき身の純粋な愛が現れる瞬間だ。

これまでこだわったつまらないことが吹き飛んでエゴが消えてしまった人。

その生きざまを見る人、揺さぶられる人

悲しみを越えて生きる輝き、

そんな過酷な条件を誰かが代表して体験するのが被災なのです。

少々の事では人間はエゴを捨てない。神様側は小出しに出して試しているようなのですが、

一度に多くを目覚めさせるにはかなりのショック療法が必要らしい。

できれば私たちは早めに気付いて、犠牲は少なくすませたいものです。

関西に住んでいる時は「愛でおまんまが食えるか」なんて言葉を聞きましたが

ここ九州では愛が命を養うのは割と普通な事のように思える。

関西でも愛ある人はいたはず。

私が人を信じていなかったからそういう人ばかりが目に映ったのかもしれない。

この世界は あなたの信じるように動きます。

不信感を持てば、信じられない例を沢山見るし、

信頼すれば 私たちは護られる。

私がどのくらい人を守るかで私がどのくらい守られるかが決まる。

ある意味、そこにいる困った人は あなた自身でもあるのだ。

こんな人が助けられる社会は私が困った時も同じように助けてくる人がいる

あなたがしたことをされる というのはそういう法則で

あなたが他者に何かをする時、あなた自身ならどれほどの思いやりが欲しいのか

迷惑なほど欲しいのか、冷たくされるのか、甘やかされたいのか

人任せで何も自分ではできなくなりたいのか、

怖がっている時、勇気づけられたいのか

イライラして当たり散らされたいのか

失言を重く受け止めて凹まれたいのか

いつまでも傷付いたことを引きずり続けてほしいのか 

 

笑顔と、遠慮と、怒りと、無視と、

あなたはどれが欲しいのか

 

そしてあなたはどれを与えるのか  

自分自身のエゴのすることと、エゴを持った人間をどう許していくのか

 

全ての事象があなたに問いかけているのです。

 

真実は、 あなたも他の人も、 愛で生かされています。

そしてそれぞれの私やあなた自身が愛の源なのです。

そこを発見した時、自分が何を選択したかったのか 何を実践したかったのか

はっきりとわかるようになります。

あなたが出来る方法で 愛で居ればいいのです。他の誰かと同じでなくていい。

ドクダミの花

嫌われがちなこの草の花がどんなに純白で美しいかを 私は知っています。

この植物がどれほど人々を助けて来たことでしょうか。

どんなに良いものでも嫌う人はいます。

それもこれもそっとしておきましょう。問題は、あなたがどう思うかだけです。