2024年08月12日

意識の進化

赤ちゃんの時、意識はまっさらで
全てのものが初めて見るもので、
それは刺激と反応。

湧き上がる衝動のままに表現する
本人的には 何の意味もなく、意味という意味すら知らない。

ただ、記憶は蓄積して その中の法則性を肌で理解していく

その頃にいろんな上(先祖)からのカルマのシャワーを浴びたり、浴びずに済んだり。
つまり、親からの負の遺産を受け継ぐこともあれば、先祖からの徳でポジティブな基本姿勢を身につけたり。

子供を育てる親は、まだまだ意識が未熟で、自分のカルマをまだまだ抱えたままだったりする。

その意味もわからないままに 自分の反応のままに戸惑いながら子供と向き合わねばならない。

20代、30代、40代、10年20年経ったくらいで 悟りの境地など知る由もなく
どう生きたらいいか暗中模索してウロウロしているのだ。
少しでもいい子育てをしたいと切に願っていても、
子育ての正解が分かっている親など ほとんどいない。

自分が本当に言い育てられ方をした という人以外は、子育てのやり方はわからないものなのだ。

それでも、ほとんどの人は幸せに生きたいと願っていて、
自分の子供には幸せになって欲しいと切望している。

正解がわからないまま、これが幸せというものだろうという予想の下に
それを信じて目指している。それが失敗だと気付くまでそれは続く。

随分の多くの体験を通して、幸せでないもの、幸せにならないものを体験して
そのやり方はダメだったな と、消去法で探す気の遠くなるような長い時間。

多くの人々の多くの涙の体験を経て、今があるのだ。

先に見つけた人が残した教えや文献を通して、真の答えのヒントが与えられる。

読んでいるだけでは理解できない。
それを実践してみて初めて それが有効かどうかを知ることができるのだ。

詳細なマニュアルは作れない。 形ではないからだ。
しかも、一つの方向性でも正解になったりそうでなかったりする。

バランスの方が大事。このくらいがちょうどいい というエネルギー量のバランス。
その人が望むちょうどいいバランス というとてもわかりにくい基準。

それは他者には測れない。

本人の感性でしか確かめることはできない。

でも、感性を使って生きるようになると、他者のエネルギー量も感じ取って見えるようになってくる。

そして余計なエネルギーを注がなくなる。

「あなたの望むように」 というのはそういうことだ。

 

人間は まっさらで生まれ、自我を体験して、

摩擦も体験して、調和を学ぶ。

もし、幼いころからそれが出来ていると、早めに理解できるが、

その機会がないと、摩擦の処理に苦戦しながら 暗中模索で時間をかけて調和が良いということを学んでゆくのだ。

調和が良い という答えの方向性を見つけるのに時間がかかる人がいる。

摩擦の処理は調和だ と思えないので、摩擦の対象を排除することに夢中になってしまう場合。
戦い続けて満身創痍になる。
もしくは戦いたくない人から敬遠されてしまう。

愛の循環は無く、奪うという方法しか知らないエネルギーの欠乏した状態。

 

それよりもいい方法がある。

愛は 生命力と共に 内側から湧いてくるもの
それは本当は無限だ。ご飯を食べれば出てくるようなものだ。

でも、閉じた状態ではすぐ枯渇してしまう。

自分の内側を自分の愛で満たせないため、

他者の愛で自分を満たそうとする。

本当は溢れる愛があるんだよ。誰にでも。

何かのきっかけで閉じただけ。

怖かったのかもしれない。

疲れ果てたのかもしれない。

傷付いたのかもしれない。

でも、時間と共に傷は癒える。

あなたが望みさえすれば。

あなたが愛に生きようと思ったその瞬間から 流れは変わる。

源はあなた

本当は 存在そのものが 愛なのだから

愛を信じると 愛の循環が発生する。

愛は契約ではない

愛とはあるがままにいさせること。誰も縛らない。

体験瞑想 及び 個別体験瞑想