愛という定義

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愛というと 日本人の多くはなんだか甘ったるいムードを連想しますが、 

ここでいう 愛は ちょっと違います。  

恋愛の愛とは少し質の違う 愛 です。

 

情熱的な愛  ではなく ほんわかあったかい愛 を想像してみてください。

 

恋愛の愛は エゴの愛 としたら、 こちらの愛は エヴァの愛 と呼んでいました。

ユニバースの愛 神の愛 とも言います。 真の愛 純粋な愛 と表現してもいいかも。

 

神の愛は あるがままにさせておく 見守る愛 なのだそうです。

神は裁くことは 本当はしていません。

本人の選択を尊重します。自由意思を尊重してただ見守るのです。

本人の成長を見守ります。

 

何か悪いことをしてそのあとひどい目にあう時、バチが当たると言いますが

バチが当たる という感覚は 神がしているのではなく、

エネルギー法則の結果、したことが自分に返ってきているだけのことなのです。

 

神は 我々の魂が幸福に満たされることを喜び、悲しみ傷つくことを悲しみます。

愚かなことに人間はなかなかそこに気付きません。

ですが、今からでも気づいていくと神は喜ぶのです。

 

人が愛を心に持ちますと 調和 が起きます。 

世界との調和  他人との調和 です。

この調和を ダルマ と呼んでいます

人間以外のものが調和することも愛です。

調和は満たされた繁栄へと進化します。 そこには喜びのエネルギーが溢れています。

 

ダルマ の反対は カルマ

カルマは 摩擦 です。

 

人間の感情で言うと、抵抗、嫌悪、否定、攻撃、

 怒りや悲しみを伴っています。

 

愛には否定がありません。

否定がない というと、全部肯定しなきゃいけないのか? と憤りを感じる人もおられると思いますが、

全部肯定するのとは違います。 否定も肯定もないのです。

神の世界では 良いも悪いもありません。

ただ 創造的 調和的な 愛の現象と、

摩擦が起きるカルマの現象があるだけなのです。

 

人間が生きていく上で

危険なものや、何らかのもの、あるいはエネルギーを奪おうとしてくるものからは、

回避 や 避難 静観(注意深く見る) を使います。

そこには恐れは必ずしも必要ではなく、むしろ冷静にただ観察 見守ることが望ましいです。

 

対象を観察すると、その根底にあるものが見えてきます。

それを理解することは 愛。  ただ受け止める。

 

すべての生命は 懸命に生きようとしています。

時にこじれ、揉まれ、傷つきながら。

 

この理解に行きつくには 魂の成長過程での体験が必要です

わからないこと、できていないことを責める必要はありません。

理解できた時、魂の成長が起きます。

世界観が拡がるのです

 

愛ある行動 愛ある意識 は、しなければならない のではありません。

できればより自分の周りが豊かになり、できていないことは、ただ、自分自身が生きづらくなる というだけのことなのです。

心が温まりたいなら、自分の心を温かくすることから始まります。

心が温かい人に出会うと温かさをもらいます

そして心の温め方を知ります。

人の心も温めてあげましょう。

世界が喜びます。

 

自分の周りに温かさがいっぱいになります。

あなたが愛の源です

 

私が愛の源ですshine