私たちの魂は いろんな経験を積んで心を拡げて世界と一体であることを知ります。
この世界と一体であることを感じることを 悟り体験 と呼んでいますが
そのために必要なのは
自我の意識が握りしめている思い込みを 外す必要があります
なぜなら、この思い込みの枠の中にいる限り、広い世界を体感することができないからです
自我は自分の周りの状況をコントロールしたいと思っています。
御願いしたり 泣いたり 怒ったり 甘えたり 甘やかしたり、説得したり 画策したり、
いろんな手段を使って 関わる人を自分の希望に沿うように動かそうとします。
でも、希望が通らないこともあります。
相手に強い希望をもっているのに それが叶わないと、
悲しいという思いから 腹立ちに代わり、怒り、恨みを感じることもあります。
自分が相手に注ぎ込むエネルギーが大きければ大きかったほど、外れた期待へのくやしさが大きくなり、相手に裏切られた と感じるようになります。
相手は本当に裏切ったのでしょうか?
もし、相手があなたが傷付くと分かっていてわざと嘘をついてあなたに何かをさせていたとしたら、
それは本当に酷い事かもしれませんが
そうであってもそうでなくても 実は問題はこちらの自我にあります。
思い通りにさせたかった欲があった ということです
この世界は こちらが摩擦の原因を持っていると それを表現して私たちに見せます。
私たちが無意識にでも持っているエネルギーは どうしても表現されてしまうのです。
ですから 逆に 起きる出来事を見て、自分がどんな思い、どんな波動を持っているかを知ることができます。
このような出来事や このような人物に遭遇する ということは 私にそれなりの引き寄せる原因がある ということか と
そうして 自分自身と向き合って 自分を見つめ 自分を知ることで
私たちの中に真我 という神の目線が目覚めてきます。
自我は 真実を知ることを恐れていますが 真実を受け止めた時に
人の魂は神に近づきます。
神が 見ていたものを見ることができるようになるからです。
抵抗していた自我、
自我は理想の自分を望んでいますが、それを手放さない限り、真実をつかむことができないですから
私たちは自我も手放す必要があります。
自我を脱皮して 真我にたどり着いた時
真の平和と ただ在る幸福を感じられる 心の窓が全開になるのです。
自我が悲しむときは 泣かせてあげてください。
そして涙が枯れた時、真実を受け止めることができるようになるのです。
そのままでも 本当は幸せだということを感じる感性が目覚めるのです。