カルマというものには 時にひどく理不尽な思いをさせられることがあります。
生まれてこの方 何も悪いことをしていないのに
真面目に善良につつましやかに生きてきたにも関わらず、
突然 天災や不慮の事故などで命を奪われたり、家族を奪われたり、
生活が一変してしまうことなどが 起きることがあります。
カルマは因果応報 と言いますか、どこかにこの運命の 種 があると言われますが、
自分には何の落ち度もないのに なぜ そのような試練に見舞われるのでしょうか?
カルマは 独りだけのものではないのです。
あるカルマを 一族は共有し、 同族は共有し、人類は共有します。
そのカルマは 避けられるものではないのです。
一人一人担当分のカルマがありまして、
それは生まれてくる時にその試練を通して 魂を成長させる と約束してチャレンジしにこの世に生まれてきます。
もちろん そんな約束は記憶からは消されています。
これから死ぬまでに何が起きるか どんなテーマの学びをするかを 決めてきているらしいのですが、
決めたことなどは覚えていないので いつも我々現世の人間は驚かされます。
いえ、ショックを受けるのです。
踏まれて傷ついても、そこから立ち上がり また真っ直ぐに
行くべき方向を目指して延びてゆく植物のように
私たちの生命は輝こうとします。
ショックを受けた意識は 一時フリーズしてしまうかもしれません。
でも、そこから 新たに新しい芽を出すように
新しい生き方と新しい意識が芽生えて 新しい人生の始まりのチャンスがやって来るのです。
上を向いてください。
前を見据えてください。
いま、ここにしっかりと立っています。
立ち上がる足がなかったとしても、いま、確かにここに存在して命の灯が輝き続けているのです。
あなたの命が存在することに価値があるのです。
目覚めた意識は全てを包み込む懐の深さを持ちます。
魂の成長です。