日常生活では特に気に留めませんが、
意識についてのことを書いてみます。
価値観といいますか、世界観
これはその人がどんなエリアに世界観を見ているか で 変わります。
人と」価値観が違う時など 相手の言ってることの意味が分からず
「は?」 ってなっちゃいますけど、(笑)
相手の世界観の中ではそれがとても正当なことだったりします。
ありえない、 意味がわからない、 頭おかしい、 なんて憤ったりなんかしますと
相手を理解することを拒否していまします。
特に家族など、近い関係で深くかかわらなければならない相手ほど、その感情が強く出てしまいます。
関係ない他人は まったく、関心など持たず、スルーすればいいだけなのですが。
家族は意見や見解の違うそのことで摩擦が起きてしまうのです。
何? と びっくりしたときは
「信じられないわ!」 と言ってしまうのをやめて
この世界には いろんな価値観があるのだな と 傍観してみましょう。
「へぇ、そんな見方もあるのか」
「この人は何にこだわっているのだろうなぁ」
「なぜ そう思うのだろう?」
背景や 深層心理がわかると、 意外と とっても理解できたりします。
そういうことがあったなら そう思ってもしょうがないよな って。
それと、
物事をとらえる意識の位置で ものの見方はとても変化します。
こちらがどこからものを見てるか です。
個人のエゴのエリアは見解が狭いです。
「何それ、しんじられない」のエリアです。
実はこの言葉、母の口癖でした(笑)
なんで信じられないんだよ と よく心の中で突っ込んでました。(苦笑
見解が狭い (笑)
自分の価値観しか信じないとそういうことになります。
他の人とは 過去の体験が違うのです。
感じ方や 好みも違います。
性格も違います。
「何それ、信じられない」 って言われると、 言われた方は その後は言葉につまってしまいます。
しつこく説明するか、 もういい って こちらから切っちゃうか ・・・
私は しつこく説明するタイプですが、
元夫は 切っちゃう派でした。
当時は 歩み寄る余地 なかったなぁ。。(^_^;) とても無力感を感じてました。
そのうち 自分からも何も言わなくなった。
これ、断絶ですね
言っても理解してもらえないだろう って思っちゃうんですよね。
言い方とか情熱にもよるのだと思うのですが、
一度傷ついちゃうと諦めがちですよね。
でも、もしかしたら 相手もそう思ってたのかもです。
本当のところは 違っていても共存は可能なんだと思います。
相手のやり方は尊重して 敬意をもってそれぞれが共存する というスタンスだと 関係は壊れることがありません。
例え、離れたり、家族を解消することになったとしても
それぞれが尊重されるところに 摩擦はないのです。
摩擦は エゴが思い通りにしようと 周囲を支配しだしたとき、ひどい摩擦になります。
あるがままを 尊重する は とても 自然な調和です。
あるがままを 尊重できれば、すべてが収まるところへとスムーズに収まっていくのです。
間違った場所にしがみつかなくjても 縛り付けなくても よいのです。
未来を心配しないでください。 ダルマ・流れ という大いなる意識を信頼してみましょう。
日々を懸命に生きればよいだけです。
日々を輝く人には 必要なものがやってきます。
これは本当に不思議かもしれませんが、世界の意識は 我々をっ見守っています。
この意識を 神 と呼んでいます。