ダルマ

解放のプロセス

瞑想マスターのボブが言います

洞窟に光を持って入ると、

洞窟の中にいたコウモリが驚いて、

騒々しくで外へ出て行きます。

そして洞窟に本当の静けさが戻る

それはカルマの解放と同じです。

 

人々は皆、それぞれに一定量のカルマを持って生まれてきています。

自分の担当のカルマの量は決まっています。

それを全部出してしまえば、今生のカルマは終わり、悟りの意識で生きていくことになります。

でも、その解放に際して、(コウモリの大騒ぎのような)心地よくない体験があるので それを恐れて コウモリ(カルマ)を刺激しないように内圧(ストレス)を溜めてしまっています。この状況は重いですね。

カルマの解放無しに静かな境地悟りへ至ることはありません。

それは掃除なしに綺麗なお部屋にはならない ということです。

心の中にある摩擦のエネルギーが出て行くのに抵抗しないでください。

それは出て行きたがっているのです。

カルマが残っていれるうちは嫌が応にも摩擦は起きたがります。

通常の生活ではそれは自分で受け止めるよりも他者のせいにしたり自分自身が受け止めることを避けてしまいます。

自分の身の上に起きたことを受け止めず

自分以外のものを責めることでうっぷんを晴らそうとします。

この方法ではカルマは終わりません。

 

起きたことを否定せず、ただ終わらせていけば終わっていきます。

出来事は、ただ起きて 

そして終わっていきます。

そこにいろんな思いはあるでしょう。

でも出来事と共に手放してください。

今起きている事だけを見て、

今必要な事だけをすればいいのです。

あなたの今を整えること。

カルマの感情を 手放し、委ね、終わりが来るのを待つだけです。

解放が終われば それはあなたの中にはもうなくなります。

何も 突っつくものがない

ありのままのあなただけがそこにいます。

頭の中に渦巻く イメージを手放していきます。

今 この瞬間を感じる時

あなたは あなたの命を実感できるようになります。

何をしてもいいのです。

自分が何を感じているのか

なにをしたいのか 自分の気持ちに素直になります。

複雑なイメージは なくてもいい

むしろ 無い方がいい。

 

瞑想であなたの中をシンプルにしていきませんか?

ELM瞑想は あなたの内側 無意識層の浄化を進めます。

思い煩う事からの解放、真の自由を

あなたにも 経験してほしいのです。

悟りを得たと実感するまでには時間が必要かもしれません。

これまでの半生と、過去世の浄化をするのです。

一朝一夕には済みません。

でも、ELMのマントラたちは それを進めます。

あなたが想像もしない体験で あなたを浄化していきます。

とらわれの意識に さよならを言う時代が来ましたね。

そう、アセンションです。

多くの人々が自由な意識を手に入れる時代です。

天国の生き方をこの地上でします。

問題はありません。

どれだけ心を開きたいか が 鍵になります。

古代の人々がなぜ瞑想をしたか 分かるようになります。

真の叡智は

科学では及ばない領域です。

空の世界へ ようこそ。

宇宙意識という大きな意識へ

繋いでみませんか。

cosmos

年末年始のお休みで伝授を希望される方は 希望日時を添えてご相談ください。

1月は体験瞑想会の機会も増やしています。

瞑想者の方は木曜日21時からオンラインで瞑想会を配信しています

愛されキャラ

猫を飼い始めてちょうど3年になります。

猫って それぞれにいろんな性格があって 

人間と変わりません。

可愛がられ上手な子とそうでない子がいます。

元々持って生まれた気質と 生まれた環境による体験

どちらにもカルマがあり、それらによって更に自分の体験を作り出して行きます。

同じように育てていても 臆病な子と積極的な子は全く違った世界を経験します。

それは本人の資質でもありますが、そういう経験をするためのプログラムを持って生まれて来た ということかもしれません。

あなたもあなたの運命を生きるプログラムに従ってこれまでの体験を得て来たと言えます。

あいつのせいでも、あなたのせいでも、誰のせいでもない。

あなたの宿命がそこにあります。

ですから、あなたが瞑想に興味を持ったり、先生に出逢ったり

何かに取り組んだりすることも あなたの宿命に組み込まれた運命という事かもしれません。

あなたはそれを選んでもいいし選ばなくてもいい。

その選択をあなたは宿命に選ばされているだけかもしれません。

あなたは必要があって今の体験を得ているのです。

その体験をしたかった魂が あなたの身体に宿り、あなたを生きているのです。

満足がいかなかったら、満足が行くように生きてみてください。

環境は変えられませんが、あなたが何を選択するかで 流れは変わります。

今までが嫌ならば 選択するものや思いを変えてみてください。

一番 お薦めするのは とらわれを手放して自由に生きることです。

警戒したってしなくたって、運命はやってきます。

避けられないものから逃げるよりも

来るもの全部を乗り越えて行けばいいのです。

あなたが素直に あなた自身を生きた時

あなたはこの世界から愛され 守られます。

そして一人ではないことに気付くのです。

過去の傷は癒えます。失うことを恐れて愛から遠ざかることをやめて

愛し愛されることを拒まなければ

あなたの周りは愛で溢れます。

あなたを愛で包むのは あなた自身です。

素直に生きることや、貴方らしく生きることは

今の時代でも可能です。

あなたの価値は他人が決めるものではありません。

あなたが自分を否定しないことが

あなたに愛を与えるということです。

いかなることも 必要があって起きています。

この世界にとって 無駄なことなど 何一つないのです

たとえあなたや人間に都合が悪くても、

それは世界に必要なので起きているのです。

何も否定する必要がありません。

そのままのあなた自身を愛して あなたの中に愛を育ててください。

1人でする必要はありません。

他者と助け合うこともできます。

あなたが与えた分だけ あなたは受け取ることになるでしょう。

それがこの世界の循環です。

愛は 与えた分 与えられます。

愛でないものも与えた分、与えられます。

そういう世界で生きています。

投げたものが 別の方向から意表を突いて戻って来ます

意識をニュートラルにして感じ取れば 世界はギフトで溢れています。

自由に生き、視野を拡げてください。

自由に受け取り 豊かさを享受するのです。

一定のものしか受け取らないのはもったいない事です。

愛されることを信じている人は愛されやすいです。

経験は関係ありません。根拠も必要ありません。

20201293424.jpg

 

お試し 

私たちのスピリチュアルな学びは

とらわれを手放して 自由になる

マインドから 愛になる ということです

私の最初のスピリチュアルの先生だった友人は常々こう言っていました

「あるがままを受け止めることが愛よ」

「ただ、愛になること」

 

マインドは正義と愛を混同しています。

正義でないものは愛ではない と思っているので

正義に反する愛を受け入れることができません。

正義と愛は同じものではないので

愛の無い正義や、正義に反する愛 などが存在します。

もし、人々が 愛だけで動いたら、それはとても自然な形になるでしょう。

ただ、広く見ていないこともあるので、盲目の愛 という状態になることがあります。(愚かな母の愛)

マインドは エゴを基準にしていると独りよがりですが、啓発した時には 世界に貢献する力を発揮し始めます

より大きな愛へ昇華していき、大きな調和(愛)へと流れをサポートするようになるのです。

エゴの愛から エヴァの愛へ 進化するのです。

小我の悟りから 大我の悟りへ

 

そしてその過程で手放さねばならないものが次々に現れます。

エゴがしがみつくもの

マインドがしがみつくもの です

許し難い と思うかもしれません。

受け入れ難い と感じるかもしれません

頭が拒絶するでしょう

価値観が崩壊します。

でも、手放すことで現れる 真実 真我があります。

 

この試練を越えた時

絶対的に動かない悟りを見ます。

そちらの方がリアルで、この3次元の世界は幻想 記憶の中にある世界観は幻想だ ということに気付きます。

何も揺らがない 今ここ をしっかりと味わいます。

 

 

エゴ 

人間のエゴは欲張りさん

こんな現状で満足する私じゃな~い もっと!もっと!

どこまで行ってもまだ足りないもっと欲しい と望みたがりますが、

あなたが自然のバランスを崩してまで余計に得ようとすると

自然のバランスは崩れて不安定な状態になる 

ということまでは分かっていないでしょう。

え?分かってるけど見てみないフリ?

そうかもしれませんね。

あるいは、

人に好かれようと 過剰に自分の持ち分を越えて人に奉仕したり

与えすぎてしまうと、与えすぎた状態でバランスがとられてしまうため

あなたはそのエネルギー(任務)を引くことが難しくなってしまいます。

欲張って出さないことも、

賞賛や愛を求めて出し過ぎることも

自然に反するバランスを作り出してしまいます。

 

アンバランスに固定された社会は歪んでいてい居心地が悪いですね。

どうしてなかなかそんなアンバランスが改善されないかと言いますと、

今の社会は 人々が欠乏と怖れに基づいて生きているからです

攻撃の原動力は怖れです。

怖れがなければ 殺意も生じないでしょう

そして

貪欲の根底にあるのは、愛の欠乏です

求めるそれは 愛の代償

本当に欲しいものは ただ愛なのに

それが手に入らないと思い込んで 違うものに執着してしまうのです。

奪うエゴの歪み

そんな歪んで殺伐とした社会構造は やがて ユニバースによって淘汰されていきます。

自然に戻す大きな波は 災害や疫禍によって大きな揺り戻しがなされています。

ユニバースのやり方は突拍子もなく、そして効果的です。

自然は 無理な圧があると、圧の限界点で断層が跳ね上がるように 大きな犠牲を伴いながら

調和したバランスへ戻されます。

 

負荷をかけるのはエゴです

個々のエゴは小さいようでも それが集団化するととてつもなく大きな負荷へ増大しています。

特に集団化したエゴは正義を振りかざし猛進します。

人間が自然界を無視したことで起きる揺り戻し

元はと言えば人間が作り出した歪みではありませんか。

現代の日本だと山奥まで管理されて 人の手のついていない自然の方が少ないくらい かもしれませんね。

自然との共存は良いとしても

歪みの限界を感じるところは やはり自然体へと戻していくほかないでしょう。

それが『サステナブル』と言われる自然共存のスタンスです。

新時代は、自然との共存なしに繁栄はあり得ません。

住めない地球にするか 豊かで美しい地球で生きるか それは私達人間次第

調和する美しさと愛を あなたのものにしてください。

 

隣人を愛していますか?

あなたの身近にいる存在に 愛を向けることが第一歩です。heart01

植物や虫にさえ 愛でいられるといいなと思います。heart04

虫は ちょっと怖いから coldsweats01

でもその恐れは 無知から来るんです

理解すれば怖くない。

異種交友

愛はカルマを溶かします。



 

汚れない魂

今日はある方のご相談を元にお話させてください。
 
Q 会社の先輩が業務の滞りや 自分の失敗を全部 私がしたことにして ありもしないことを言いふらして私の悪者にします なんでこんな目に遭わないといけないのでしょうか?
 
酷いことを言われるというのは、カルマの解放の一種です。
人がしてくるものですが、それでこちらのカルマも引き出されて 自分の分は出されることで終わっていきます。
「私のカルマを引き出して終わらせてくれた人、ありがとう」
彼らはあなたがカルマを終わらせる手伝いをする役目を担います。
そう、何も知らずに。
 
内側から出てくるカルマ(感情)を他者にぶつけると、(回り回って)(あるいは投げ返されて) 再び自分に戻って来ますから、
他人にぶつけてしまう人は、カルマを出すと同時に自分に戻すことをしてることになります。因果応報の原理です。
 
なので、それを知っている者は出てきたネガティブ感情を他者に被せたり責任を押し付けることはしないようにしています。
 
出てきた感情(嫌だ とか 悲しい とか 腹立つ とか)は自分が感じて手放すと終わりになります。
手放す工夫をいろいろしています。引きずらないように。
手放したり癒したりしてスッキリして終わるのです。恨みの気持ちは持ちません。
 
たとえ 言われたい放題サンドバック状態だったとしても、そのことがあなたの心のダメージにならなければ問題ないので
傷付いた分 自分で自分を癒したり浄化したりするのです。
あなたの価値は他の誰かが決めるものではありません。
あなたの価値は真実があるのみなので、それ以上でもそれ以下でもないです。
ただ、揺さぶりをかけてあなたの波動を落とすことは出来ますけど
あなたの真実を誰も変えることはできないのです。
 
揺れる心を鎮めたり、平和な波動に戻るために
瞑想したり、温泉行ったり、楽しい事したりします。
喧騒のある場所からはできるだけ離れていましょう。
その場から離れられなければ、平和の波動のバリアを張ります。
瞑想的に内側の静寂に意識を向けます。
あなたの内側の深い所はいつも静寂で
そこには神や仏が存在しています。
神や仏と繋がっている真我です。
 
言いたい人は放っておきます。
マンションの中から、ガラス越しに外の暴風雨を見ても 私たちは濡れません。
 
出て行って毒のある言葉に触れに行く必要はありませんし、舞い上がるゴミを必死に回収する必要も除去する必要もありません。それらは消えていきます。
あるいは嵐が止んでから拾って捨てればいいのです。今は静観しましょう。
私が損をして、あの人が得をすると思いますか?
そんなことはありません。
真実は明らかになってしまうものです。
言った人は自分が吐いた毒で中毒、自滅することになりますし、
放置しておけば、自分の撒いた毒に直面して勝手に学ぶでしょう。
周りの人々は毒に気付かないほど鈍感ではないのです。分かる人はすぐにわかります。
誰が毒を持っていて、誰が清らかなのか。
みんなにバレています。
罰する必要も正す必要もありません。
それらは何の役にも立たないからです。
 
自分の周りに痰やツバを吐き散らすようなことは 賢明な人はしません。
もし他人の吐いたものがかかったら、ふき取って、きれいな水(光)で洗うだけです。
瞑想がすすむと、光に包まれて汚れない身体(オーラ)になっていきます。
瞑想の高波動は光なのです。
高波動の場所には低い波動は入れません
こちらの自浄作用の方が 毒(低い波動)より強くなる ってことですね。
 
神(大いなる意識)は私たち人間一人一人の目の奥から真実を見ています
エゴがどんな考えをしているかすらも見られていますね
だから嘘やごまかしなんて通用しないんです
 
あなたは 何をしますか?
どんな風に生きているかが大事です。
あなたが あなたの運命を握っているのです。
他人ではありません。
雪割草

どうしようもない時

うまく行ってない時、自分が嫌になる時

辛い時、焦る時、もどかしい時

それは必要があって起きています

今の自分、いままでの自分と

私を取り巻いてきた世界のエネルギーバランスで

起きることが起きてきます

 

思い通りにならなくなった時

それは 全体のエネルギーバランスの圧に逆らうのが無理になったきた時

それでも思い通りの 理想通りの状況を作り出したいと思う時

流れに逆らってそれをやり遂げるか

疲れ果てて降参するか 

神はどちらをやってみてもいいよ とただ見守っています

正しいやり方 正解というのはありません

世界と調和するか 流れに逆らうか

あなたの自由です

 

こういう言い方をすると、太いものに巻かれるとか

寄らば大樹の陰 なんて言葉を思い浮かべてしまう人もいるかもしれませんが

世界と言うのはそんなにちっぽけなものではありません。

なにしろ宇宙相手ですから。

本来の流れに逆らっている人間たちホモサピエンスの集団は 

流れに逆らい続ける限り、やがて淘汰されていくでしょう。

時は永遠です

大きな波あり小さな波あり

でも、問題は、波ではありません。

海です。

意識の海 ユニバース

私達がこの海そのものだったことを思い出せば

目先の小さな波は問題ではない ということがわかります。

意識を拡げてください。

瞑想で空に入る時、あなたは宇宙と同化しています。

あなたが海だった経験をします。

それが何なのか 理解していない間も

あなたは大いなる意識の海と同化するのです。

大海原

流れに委ねてください

あなたは世界に生かされています

 

二極化

コロナ禍と言われてそろそろ1年近く経ちますね。

1年前にいた世界と今は随分世界観が違います。

こんな厄介な疫病が流行って経済不安もあって自分たちの未来が見えなくなったと途方に暮れている人々 あるいは

これからは人間が自然体に戻る時代 と 思っている人たち

もちろん私や多くの瞑想者たちは後者ですが

前者もまだまだ沢山いらっしゃるようです。

このところ寒くなって来て コロナの第3波がやってきている今

世間はまた不安にあふれてきます。

身体が丈夫でないと自覚のある方、持病のある方 は無理な生活をしないで心もストレスを抱えないように穏やかに過ごしてください。

宿命は ジタバタしても変わりません。なるものはなるし、ならないものはならないし、

なっても治るものは治るのです。

自分を大切にして あなたが愛の心で生きていると

あなたは世界に守られます。

綺麗な心でいてください。

怖れのために人に攻撃的な感情をづ漬けないでください

誰もが同じ状況です

弱者をいたわってください。

あなたの愛があなたも救います。

ウイルスの下で 攻撃は何の役にも立ちません。

むしろ怒りのエネルギーはウイルスの勢力を煽ります。

これは普通の病気でも同じです。

怒りやストレスを作り出しているのは あなたの環境やあなたの周りの人々ではなく

あなた自身なのです。

拒否する心 それがあなたのストレスです

敵はいません。

敵ではないのです。

共に癒されて 愛へと統合されていきます。

ただ一つの世界が存在しています。

自と他を分けることができない一つの世界です

地球

 

 

辛い体験をどうとらえるか

お悩み ありますか?

なんでこんなことが起きるんだろう

何でこんな思いをしないといけないんだろう?

どうして私が・・・?

私の人生ってなんのために?

な-んて思ったことがありますか?

その答えは 

『その経験をもとにあなたは何が出来るか』

という課題を与えられた ということなのです

そう、成長のチャンス です。

そこから あなたは プラス(ポジティブ)を生み出すか

マイナス(ネガティブ)を生み出すか 

あなたの意思に委ねられています。

 

最初はカルマの感情が出てきますからもちろんネガティブなものが噴き出します

「嫌だ」「ちくしょう!」「キライ!」「ムカつく!」「許せない!」

そう言う気持ちは出ても不思議じゃありません

だって、人間ですから。喜怒哀楽は常に起こります

でも問題はそれからです

ずっと腹の中にその怒りや憎しみを煮えたぎらせて沸々と醗酵させてどす黒いものにさせた時

あなたの心に悪魔が住みつきます。

そうならないためには、出てきた感情は手放して天へ預けてください。

あなたが仕返しをしてその恨みを晴らす必要はありません。

あなたを傷つけた人は いずれ あなたと同じ仕打ちを受けて それを受けとります。

したことをされる そういう因果応報が この世界にあります。

あいつはまだそうなってない! と怒らないでください。

因果応報は すぐに起きるとは限りません。

今生でおきなくても来世で起きますし、その因果を子孫が引き受ける場合も少なくありません。

沢山の人を不幸にした人は なかなか幸せになることができません。

まず 自分の引き受けたカルマの責任を負うからです。

ですから、他者への罰は あなたが与える必要はありません。

あなたは あなたの中に恨みの炎を飼うのをやめましょう。

その炎は恨んだ相手ではなく、あなたを焼きます。

全くもって利の無いことです。

あなた自身を憐れむことも同じです

あなたを幸せにできるのはあなた自身です

なのに あなたを幸せにしてくれない人を恨む というのはお門違いなのです。

辛い体験があなたを不幸にするのではありません

それによって何を生み出すかが あなたの幸せを左右するのです。

 

もし 辛い体験をしたことがあったなら その時の気持ちはよく知っているはずです

同じ苦しみを持った人の気持ちがよくわかる

どうなったらそういう人が発生するかも理解できるかもしれません。

あなたはあなたの体験を より幸せな世界を作るために役立てます。

自分に何ができるか どうすれば 自分と周りの人が幸福であるかを見つめてください。

何も行動を起こせなくとも

あなたの優しい心は 世界を幸せに導きます。

それだけで癒しは起きるのです。

頑張らなくてもいい 存在だけで世界は癒せます。

ネガティブな感情は 天へ預けて 手放してください。

ちなみに天界は浄化作用がありますので

あなたのネガティブは消滅します。

手放したネガティブはもう発動しません。

それが浄化です。

夕陽

魂の行方

これから書く世界観は、私の世界観です。

正解はわかりませんが私はこれを確信しています。

死後の世界のことです

肉体から離れた魂の世界のこと

私たちの魂の故郷は 魂の湖のようなところです

その魂の湖の水が 魂の集まりです 

そう、私たちの魂は形が無く、境目がありません

ただ一つの集まりなのです。個ではない。分かれていない

すなわち非二元の世界です。

その湖からコップ1杯分の水が一人の人間の魂として肉体に入ります

それは水とも表現できますが、もっと近いのは光です。重さがありませんから

私たちはコップ1杯の光。 それが私たちの本質です。

お母さんのお腹の中に居る時に入って、死ぬ時に肉体から出て行きます。

そしてまた 故郷の光の湖に戻ります

また、みんなと混ざるのです。

「おかえり、おつかれさま」 そんなやり取りがあるのでしょうか?

あの世では分離しようがないので 孤独はないですし、

みんなが一つなので摩擦しようもないです。

エゴはありません。

 

仏教の六道輪廻の世界では

天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄

という6つの世界がありますが、これは故郷の外側にあって 分離のある世界です。

自分と他者がある世界です。

ここではじめて 摩擦が起きることが可能になります。

人間界以下のエリアで激しい摩擦があります。

カルマの摩擦です

 

この6つの世界は 魂の故郷にはありません。

この世界にあります。

宗教の中では 死後の世界にそれらがあると言われたりしますが、

実際はこちらの世界にそれがあります。

私のイメージではこの世界に波動の違う別の世界が重なって存在しています

テレビの中にいくつものチャンネルがあるみたいに

「ドラマチャンネル」

「マネーゲームチャンネル」

「バトルチャンネル」

「オカルト・ホラーチャンネル」

「ミュージカルチャンネル」

「コメディチャンネル」

「サイエンスチャンネル」

などなど、多彩なテーマとそれぞれの波動のチャンネルが存在します。

もしかしたら、人間の数だけチャンネルはあるのかもしれない 

でも、概ね近い周波数のチャンネルは混ざり合って交信もしてますので、

数には数えられませんし、一人の人がいろんなチャンネルも行き来できます。

波動を変えさえすれば違う世界に行けます。

 

で、光の湖は とても波動の高いところです。

私たちは肉体から抜けると、肉体と共にそのカルマも一緒に脱いで

この高い波動の故郷に帰ります。

これを成仏する って言います。

成仏した人はみんな光です。

 

成仏していない側の意識が六道輪廻を体験しています。

それは死後の世界ではなく、生きている人間たちが体験しているものです。

もしかしたら、成仏していない霊界にはそれがまだ存在しているかもしれません。

そちらの肉体を持たない霊体は 私たちにささやきかけてくることもあります。

「やってしまえ」「奪え」「よこせ」 と。

思い通りにならないものは騙したり脅して取るようなことをします。

闇の世界の住人です。光になることを拒んだ存在。

それは執着が手放せないためにそうなってしまうようです。

 

怖いのは悪魔ではなく、悪魔の心になった 肉体を持った人間です。

肉体があると 刃物なんかを持てますからね。

邪悪な波動、低く重い波動には注意深く距離を保ちます。

心配は要りません。

こちらが波動を高くしていれば 接点は生じないのです。縁がつながりません。

話が逸れてしまいました。

死後の世界に話を戻します。

 

生きている人間は光の故郷を知ることが出来ないでしょうか?

答えは否です

個が消えている時 そちらと繋がっています。

もっと具体的に言うと、思考が消えている時

光の故郷と繋がっている状態になります

また、その時は意識は身体からはみ出して世界を体験しています

五感が拡がって世界を感じている状態ですね。

カルマの摩擦がすっかり消えた時も繋がります。

カルマに邪魔されることなく世界を体感することができるからです。

 

そういう時、先にあちらに戻って行った魂の愛を感じることができます。

それらの存在は、外にではなく

内なる深い所にある空(くう)で繋がっています。

目をつむって内側の深い部分で存在を感じ取ります。

自分側に摩擦の感情が無い時 その波動はよく伝わって来るでしょう。

ただ、愛をこちらに向けているのがわかります。

そして 生きている私たちが愛を感じると、一緒に幸せに共鳴してくれるのです。

「良かったね、嬉しいなshine」と。

彩雲

誰のせいでもない2

何か失敗したりすると、焦ったりパニくったり

凄い罪悪感と嫌だという気持ちが渦巻き

これは本当に私が悪いのか?

いや私だけが悪いんじゃない!あの人だって その人だって関係あるじゃん、

私がやらかしてしまったのは、周りの人だって悪いじゃん・・・なーんて

やり場のない怒りを誰かに向けたくなるのは

すごく 人間っぽいです(笑)

とても大勢の人が そんな心当たりがあるかもしれない。

 

誰かのせいにしておきたいのは

自分の責任と思いたくない思い です。

責任かかると責める、責められる と 思い込んでしまってます。

現代社会は責め合う関係が主流だからね

でもね、ほんとは誰の責任でもない。

たまたま その位置にいて

その体験をしてしまっただけ、

誰かが代わりにしたかもしれないその体験を

たまたま あなたが した。

もしかしたら、別の瞬間は

「ああ、私じゃなくてよかった」なんて胸を撫でおろしているかも。。

 

こういう時 私はこう思うようになりました。

ああ、これが私でよかった。

他の人だったらその辛さに耐えられないかもしれない

私は意外と平気。

だって 試練は乗り越えていくものだから。

 

どんな出来事を体験するか『宿命』が初めから用意されていた とも言われますよね。

聞いたことがありますか?

宿命なら避けられない。 いつかどこかで遭う運命。

だから起きるなら仕方ない。

そういうことが起こりうる可能性の環境の中に生きていて

たまたま それが自分の目の前で起きた ということ。

 

自分が当事者だったり、被害者だったり、加害者だったり、

色んな立場になります。因果の流転

それらはたまたま、流れとカルマの条件が揃った時にハマります。

どんなに回避したくても 起きてしまう時は起きてしまうし、
どんなに願っても 起きないものは起きない。

計り知れない広大な 世界全体のエネルギーが

大きくも微細にも流動し続けている中で

人間はそれを100%コントロールしきれるものではないのです。

 

予想外のことは 常に起こります。

関知しない微細な動きや 及ばない大きな流れを

全部把握することなど 不可能です。

だれでも、当事者になりえます。

起こさない努力をしたとしても、

キツく監視すればするほど、キツく取り締まれば取り締まるほど

100%の回避は不可能

締め付けた息苦しさの中ででは

ある水準を越えた時に

過失は起こりやすくなるのです。

オーバーフロー のように。

 

それ(罪)を責め合って責任の所在を押し付け合うことは

世界にとっては無意味です

それを有効に感じているのはそれぞれの自我だけ。

私は悪くない ということにできれば、真実などどうでもいい と思っているかのように。

問題解決よりも 責任の所在だけを気にする って。

 

え?修正処理を負わされる

そんなもの他の誰かがやればいい?

なるほど。

みんながそう思っていると ひとしきり押し付け合いの乱闘?が始まっちゃいますね。

暴力的な世界だなぁ。

「そうだよ、油断ならない世界なんだ」

そう思っているあなたが その世界を創り出しているとも知らず。

 

そんなエネルギーがあるなら もっと効率の良い方法がありますよ。

今一番 何が大切で どんな課題をクリアしたらいいか

気付いて取り組む

改善できることを見つけることの方が

ずっとこの世界を居心地のよいものにするのですけどね。

自我は自我のためのことしか見つけ出せません。

どっちが上か下か

目先の損得

それしか見えていないようなら

その未来は暗いです。

その流れは豊かさから離れてしまっているからです。

あなたの心、あなたのいる環境や 周囲の人々の心を豊かにすること

それはあなたが豊かになる ということです。

博多湾から

美しい自然は 常に一緒にあります

自然の流れと共に。