ダルマ

遠出

北海道に行っていました。

正確に言うと 連れて行ってもらいました。

とてもスペシャルなギフト!

なんと36年ぶりの訪問でした。

ほとんど西日本で過ごしているので

北部へは来る機会が少ないのです。

 

それにしても

毎回 飛行機に乗るたびに すごく不思議な気分になります。

空を飛んでいる・・・

人間の力というのは 大したものです。

まず離陸して思うのは

 

人間のコロニーがすごいな です。(笑)

この生物は 地表をほとんど加工してしまいます。

葉っぱに模様を作ってしまう生き物たちとおんなじに見えてしまいます。w

 

山々ですら 植林で管理されているのが見て取れると

もう驚異的だな って (笑)

 

その点、北海道は 人間の手の入らないエリアがあちこちにけっこう残っていて

なんだか とても自然に近い気がしました。

 

それから、

空の上から地形を見ると、本当に地図そのままで

更にテンションが上がります。

河が蛇行しているとか

山脈とか 

かつて学校で白地図に色を塗っていた頃の自分が 3Dで地形を見ています。

地球だ!

 

飛行機に乗るたび、そんなことになっています。。。w

 

かつては行くのに何カ月もかかった行程

しかも徒歩で移動という・・・ (乗り物が無かった時代の事ですが)

そんな距離を瞬時に

すごく遠くまで行って、そしてまた 帰って来る。

Oh my god!

 

でも変わりないのは

どんな場所に行っても、

どれだけ時間が経っても経たなくても

いつも視点は ここにあり、ここから世界を眺めています。

そう、今はこの体が拠点

 

私自身は 好奇心が強いので

目新しい事や見慣れないことは かなり面白いのですが

 

いつもの慣れ親しんだ環境もまた居心地が良いものです。

どこにいっても 自分のペースはほとんど変わりません。

ここに生きている私 今 生きている私

それは永遠の意識が ここから世界を観察している ということですが、

なんとなくそれが ジワジワと実感されます。

 

ただ感じる拡がり 「すごいな」

 

距離も時間もない 全てを包括した意識を 宇宙意識と言いますが

自然の雄大な風景を見ると 地球と一体になる感じで

すべてが一つの ワンネスの意識にゆったりとくつろいでいる

そんな感覚になります。

 

この世界(地球)は増えも減りもせず 一つのものが形を変え

循環している世界なんですね。

その一瞬は 美しい。

調和した世界は美しいのです。

有珠山

 

 

お釈迦様

お釈迦様は悟りを開いて仏陀になった実在の人物ですが

 

お釈迦様は若い頃、まだ出家する前の王子様だった頃、 とてもとても悩んでいたんです。

自分は何不自由ないお城での生活の中でも、この国の人々の苦しみをどうすることもできない無力感で 毎日とても憂鬱だったのです

どうしたらいいのか 考えてもわからない

 

そしてついに 

その答えを求めて 王位継承権を放棄して出家してしまったのです。

長い年月を修行に費やし、

死にかけながら、も修行を続けます。

 

そして瞑想を続け ある時

 

苦から人々を救う方法を見つけるのです。

 

この方法が仏教の教えの中にあります。

 

釈迦はいろんな場所でいろんな人々にその方法を語り、どうすれば苦悩から救われる方法を知ることができるのかを教えて回りました。

多くの人々が釈迦の教えに感銘を受け 弟子となって また教えを広めて回ります。

 

インドから言葉を語り継がれ 何千年もの時を経て 釈迦の教えは現代にも生きています。

 

今の日本では 国民の多くの方々は お寺へ行っても仏教の教えの内容を理解していない人が多いです。

例えば、般若心経 というお経

これはお釈迦様の教えの真髄を現していますが、般若心経の内容を理解してお経を読んでいる人の方が少ないのです。

お経はまるで呪文のように毎日読まれても その教えを生きている人は少ない。

 

それどころか、「言うことを聞かないとバチが当たるぞ!」などという脅し

これは 仏教にはありません。

誰も裁いたりしませんが、 ただ因果 というエネルギーの法則があって、

天に唾すると自分にかかるのと同じように 自分のした行いの結果は 自分が受け止めることになる という因果の関係が存在しているだけなのです。

誰が罰したのでもない ただ、自分の撒いたものを見ているだけ。

 

それも、悪意でなくても 無知であればいろんな罪を犯してしまうこともあるし、

苦しむ人を救えば この世に負のエネルギーは減り、感謝もされ、 自分も助けられやすくなる というのはごく自然なことです。

 

そして 自分がどんな気分を日常的に自分の周りにまき散らしているか 私たちは自覚を持たねば 自分自身を知ることができません。

 

仏教とは、己を知ること なのです。

突き詰めて己を知っていくと、 実は 己 という確実な存在すら いない ということまでわかってきます。

 

私たちが 私 と思っていたのは、

頭の中の 『私』 というイメージにすぎません。

このイメージに振り回されて 人と比べたり 悩んだり 苦しんだり 人と戦ったり、何かを奪い合ったり

また、頭の中の考えやイメージ、妄想などで怒り狂ったり、誰かを傷つけてしまうことや 不安や恐怖を持って

まるでそれが本当に存在するかのように思ったり

そんな行動は 無益なばかりで なんの幸せも生み出さないのです。

例え人から何かを奪いとった勝利や征服感に一時 酔いしれても、また奪い返され、仕返しをされ ということを

繰り返していては いつまでも苦しみ続けるばかり

 

そんな負のループから抜け出す 心に苦しみを持たない状態 『悟り』 を伝えてまわったお釈迦様でした。

 

頭の中の 苦悩を 手放しなさい

私たち現代人も 瞑想をして 苦から離れ、お釈迦様の気付きを体験して 微笑むのです

釈迦

現代には悟っている人が大勢います。

これから どんどん増えて行くでしょう。

あなたもその一人かもしれません。

世界と調和

私たちの意識は 何層かの段階になっていて どの地点の意識から対象を見ているかで 受け止め方が変わります。

感じ方も変わるし、物事への理解も天と地ほどに変わることがあります。

 

私たちが今の身体に宿って生まれ、最初のうちは 真我の意識のみなようですが、

成長と共に身体の意識 自我の意識が発達してきます。

思考すればするほど 自我は成長して行きますが、その時に真我との分断が起きることがあります。

真我の意識は 感じ取る性質のものなので 思考が勝ちだすと 感じ取ることを無視して抑圧してしまうことがあります。

これはカルマの経験や 環境によって左右されます。

抑圧や痛みの経験が多いと 自然に感じる力を閉ざしてしまう ということが起こります。

 

実は私たち人間にとって 感じること 自分自身そのものや自分の感情を感じる事は とても大事なんです。

感情を感じきると その体験が速やかに終わり、次のステージに移行するのですが、

特にネガティブな感情を受け止めることは誰しも好まないので それを避けようとしてしまうのです。

 

感情を完全に感じきると 新たな理解と境地を開きます。

魂が成長して 新たな理解で世界を生きる事が可能になります。

新たなところに行く前に越えなければならないことは、

自分の思い通りにならない現実を受け止める ということです。

別の言葉で サレンダー(降参)と呼んだりします。

これは誰かに屈服する ということではありません。

この世界に戦いを挑むことを止める ということです。

自分という個に対して 世界は大きすぎます

 

戦えるものではないし、実はこの世界は自分の思い通りにならない自分そのもの なのです。

あるがままを受け入れる ということです。

それでも心地の悪いものはあります。

 

これに対しては 戦うのではなく、一つ一つその時々に対処して、関係を緩和する という方法を取ります。

喧嘩はしないんです。双方が傷を負いますから

折り合う ということをします。

 

自我の意識は嫌がるかもしれません。

でも、一つの世界 が 一つの身体のようなもの だとしたら、

あなたの親指と小指が喧嘩したら困るように、

身体の中の内臓と血液が喧嘩したら困るように

調和を保てずに争う ということはいろんなものへダメージを与えてしまうことになります。

それらはすべて一つの身体を構成する要素なのです。

 

そのままでいい というメッセージを与えれば 反逆したり、危機感に震え 一触即発のような張り詰めた状態にはならずに済むのです。

存在価値もまた生死をかけて戦おうとするでしょう。

存在する者は 何一つ 存在してはならないものではなかったのです。

存在してはならないもの というレッテルが貼られた時、それは死闘の準備を始めます。

 

共存を考えてください。

すべては一つの世界を構成する要素です。

向けられるエネルギーが愛であると気づけば 誰も剣は抜きません。

敵は ただ 幻想の中に存在します。我々人間の思考の中に住んでいます。

 

思い込みを手放す

私たちを苦しめているのは 不公平な政治でしょうか?

私たちを悩ませているのは 無理解な家族や友人でしょうか?

私たちが悩んでいるのは 心地よくならないこの世界 でしょうか?

いや、もっと細かいあれやこれ、

それとも、昔感じた痛みの記憶、

あるいは 起きるかもしれないこれからの試練

とかく悩みは尽きないものだ と かの文豪も言っています。

 

なんで この世は思い通りの理想にならないのかしら

理想なんて贅沢なことは言わない せめてあの悩みが解消さえすれば、あの人さえいなくなれば、あれさえできるようになれば・・・

などと また悩みはループを始めます。

 

何でこの世は思い通りにならないのか?

 

なぜだと思います?

 

それは、そういうものだからです。

この世界は ただ、在るように在るのです。

あなた自身もそうです。

これまで あなたは自分を思い通りにできてきたかもしれません、

でもそれは永遠ではないのです。

あなたは 自分の身体が思い通りにならなくなる経験はありますか?

まだだったとしても、それはいずれ全ての人間に訪れてきます。 老化に伴うペースダウン

これはとても自然なことです。

全ての人は自分自身も思い通りにならないものなのです。

そんな自分自身や他人様と どう仲良く付き合っていくか それによって人生観は変わります。

 

この世界は 世界全体がエネルギーのバランスを取りながら 調和を保って維持されています。

良いも悪いもごちゃまぜ  というか、そもそも良い悪いという基準は人間の都合で分けられた単なる基準でしかありません。

良い悪い ではなくて 私の都合に良いか悪いか なんです。

世界のエネルギーバランスでは その事象が必然的に起きているだけなんです。

この大きな世界が 思い通りにならないと怒るのは 妙な話です。

 

かつてあなたは 身近な人の怒りに触れて あなたらしさを隠さなければならなかったかもしれません。

でも、あなたは 本当はあなたらしく生きていいのです。

怒りは 思い通りにならないということへの抵抗ですが

その抵抗は無駄であるばかりか、更なる摩擦を生み出して、あなたの世界を居心地の悪いものにします。

怒りのエネルギーの中に安らぐことはできないからです。

 

まずは 思い通りにならないことを 受け止めて、それを悩むことをやめ

いまここに安らぐ という体験から練習してみます。

瞑想は悩みから離れる時間です。

あなたの身体は 悩みから解き放たれると、安らいで健康が戻ります。

縮こまっていた身体はリラックスして自己治癒力や免疫量が上がり 元気な体は心も晴れやかにしていきます。

また、逆に晴れやかな心には 病気のエネルギーは留まることが難しくなります。

あなたが 心を明るくしない という選択は 実はとてももったいないことなのです。

 

幸せな人生は 物事を明るく見る目 と 喜びの花を咲かす、笑顔を多く咲かすことで より繁栄していきます。

上手くできないと嘆かないでください。

誰でもやったことがない事や慣れていないことは 最初からうまくできなくても当たり前なのです。

幸せが増える習慣、苦を手放す心は 幸せになるテクニックです。

 

それらは 最初、お釈迦様が発見して人々に伝えました。

当時なぜそれほどに仏教が一気に広まったのか? というと、

本当に幸福や愛の波動が直に伝わったからです。

布教する人 というのは ただ 言葉で内容を伝えるだけの人ではありません。

真の理解と 真の実践が 目の前に再現されて 人々ははじめて そのことを目の当たりにするのです。

 

ですから 私は 現在の宗教の場は微妙だと感じています。

形に囚われて その精神や愛が薄れ、教義で裁くことに夢中になっている人は 宗教の真の意味を理解していない ということになるのです

はたまた 勘違いした宗教であるか・・・

 

お釈迦さまも イエスキリストも ただ 深い愛の人です。 慈悲の愛。

罪を裁いているのは 我々人間です。

真の愛には 怒りや戦いは必要ありません。

ただ、対処があるだけなのです。 

スピリチュアル や 仏教、悟り を通して 自分の中に真の愛を見つけた人は

不幸になりようがありません。

もうその時点で幸せを生きることしか選択したくなくなるからです。

瞑想はあなたの意識を変容させる力強いサポート、テクニックです。

 

人々の意識の変容をアセンションと呼んでいますが、これは人類が 幸福な生き方を選んで社会や世界全体が進化することです。

これは難しい事ではないのです。

あなたの意識が目覚めれば 周りの100人が目覚めるのですから。

100人はじきに10000人になります。これがアセンションのムーブメントです

これらの変革は それぞれの心の中でのみ開いていきます。

独りでも多くの人の意識が変化するほど  どんどん野蛮な戦いの時代は終わっていきます。 

ビッグホール2F

昨夜、書きかけのブログ記事を うっかりぶっ飛ばしてしまいまして

書き直す気力が失せ仕切り直しの今日です。 smile

昨夜とは違う内容でリフレッシュしています。

書きたいことが沢山あるので ウロウロしてしまいますが、

今 一番書きたいことを書いています。

さて、今日のお題、「道』 ですが、

どうすれば幸せになる などという表現を 私もよく口にします

今が苦しいと 先に幸せな場所を求めてしまう感じになってしまうので 幸せへの道 を見つけたくなります。

でも 真実は ちょっと違うんです。

 

 

There is no way to happness,  Happiness is the way

幸せに至る道というものはない。幸せは道そのものなのだ。

 

これは仏陀の言葉です

今、自分の思いが 苦しみや悩みに捕らえられてしまっている人は どうしたらいいか わからなくなるかもしれません。

これは、私たちが掴んでいる苦しみ というのは 私たちが自分で作り出しているものでもあるからです。

 

「そんなことはない、自分はそんなこと望んでないし、幸せになろうと懸命に頑張って生きてきたけど、私たちを不幸が襲うじゃないか!」

なんて思ってしまうかもしれません。

外に出来事があるので 私は幸せになれない  こんな風に思い込んでしまって、それ以外のとらえ方を知らずに生きてきてしまった ということです。

今まで 幸せに生きる方法、幸せに生きるテクニックを誰も教えてくれる人がいなかった

今まで 幸せにならない生き方をする人の中で いつのまにかそれが当たり前になって 自分を不幸にしていた

そのことに気付いて、生き方を変えるのが悟りです。

 

じゃあ、どうすればその 幸せでいられる生き方をできるの?   と思われることでしょう。

これは、今までの自分の常識、これまでの社会の常識を打ち破ることも必要なので

最初にそれに直面した時は 「げっ!(~_~;)」って思う方もいるんです。

で、時々「そんなの、煩悩だらけの私にはできないわ」 なんて言う方もいらっしゃる。

 

じゃあ、ちょっと失礼いたします。

お食事中の人は、先に食事を済ませてください(笑)

 

 

はい、では行きます。

煩悩を、ウンコに例えます。。

自分から出てくるウンコ、出さないと病気になってしまいますね

快便は健康の証しです。 それらがあることは 何の罪でもなく、人として当然のことです。

この煩悩というウンコ、どこでもここでも出したら ヒンシュクを買います 

他人様にとってはちょっと迷惑

出したくなったら、トイレに生き、速やかに出てもらって 水洗でサーっと流れてもらいましょう。

煩悩の思いも トイレで出して 推薦で流しちゃってもいいんです。

あなたの居る場所はトイレでもリビングでも外でも きれいで臭くもありません。

 

でも、その煩悩を大事に持っていたい人がたまにいます。

ウンコをすると気持ちがいいので 沢山食べて沢山ウンコをしようとします。

すぐに捨て去らずに とどめておくので だんだん臭気が・・・・  臭くなってまいります。

この臭気は 煩悩の波動(エネルギー)のことです。 あなたが発する波動

出た者は留めておかないで とっとと水に流したいのですが

執着で いつまでもここに置いておきたいと思ってしまう人がいます。

 

自分の思いには 臭気のような波動というものがあります。

これは実際の嗅覚で感じるものではありません。

第六感、おでこの所にあるチャクラで感知しています。

あなたがどんな思いで生きているか 知らない間に 周囲に伝わります。

 

あなたはご自分の発する波動を好む者に取り囲まれるようになります。

それぞれが、自分の匂いに近い匂いだと違和感がないので、

同じ波動がくっつきやすい ご縁がつながりやすいのです。

 

あなたの身の周りにいる関係者は あなたとよく似た波動の人が集まる  という法則が この世にあります。

 

「全然、心地よくないじゃん!」 「好きで関わってるわけじゃない」「私はあの人と離れたい!」

そんな風に思うかもしれませんが、

自分の波動が心地よいか心地よくないか を よーく観察してみれば 

あなたの作る世界が 心地よいところかそうでないか は納得がいくかもしれません

あなたの世界は 他人が作ってくれるのではなくて 自分自身が作っているのです。  そう、無意識に。

 

私たちの意識は なかなか自分自身を客観的に見ることができません。

鏡に映さずに自分の姿を肉眼で見ることが難しい。

自分の在り方を映す鏡は 他人様の波動です。

あなたは あなたの波動を通して 他人を見ていますし、

他人や身近な人に自分の思いを投影してとらえているんです。

他人の姿は 私の姿

これはスピリチュアルの基本的な法則の一つです

 

あなたが自分を整えて あなたの周りに善良で正直で愛に溢れる人が増えてきたら

あなたはもうすでに愛に溢れた人である ということです。

 

雪景色

どんな季節にも美しい瞬間がある

あなたが今 何を感じているかが大事です。

 

幸せじゃないんだ どうしたらいいんだよ~ と八方塞がりな気分でムシャクシャする人も失敗などではありません。

あなたの思いを味わって抱きしめてほしいのです。

 

そうしたらいいか 分からない方、不安な方は 瞑想を始めてみていただきたいのです。

 

瞑想はあなたのお掃除係さんです。

上手くできる気がしない人は アトリエ霽月で瞑想が学べます。

 

いい匂いで みんなが安らぐ波動はあなたのものです。

いえいえ、無理であるわけがありません。

今 多くのカルマに直面している人こそ 苦を手放す好機だからです。

 

スピリチュアル界のとても尊敬されるマスター

エックハルトトール氏 は言います

今苦しんでいる人ほど幸いなのです。 

苦から卒業するチャンスがここにあるからです。

 

苦を生み出す原因はもういらない  そう思えると 幸せになるしかありません。

大きな作業も引っ越しも嫌なことを無理にすることも抑圧や制限を受けることも 特に必要はないのです。

ただ、心を見つめるだけの問題。

 

私たちの本当の思いを見つけて それを抱きしめた時 私たちは苦から解放されます。

瞑想は無駄な抵抗のエネルギーを払う強力なサポーターなのです。

 

幸せに至る道を探すのではなく、今の自分が幸せに生きることを選ぶ これが悟りです。

今までの常識は気軽に手放してください。