ダルマ

していいことと悪いこと

先日のブログ 『意味付けに必要なストーリー』で 基準とか意味付けに 大して意味がない と書きました

その続きを 書きそびれておりました。

ちょっと時間が経ちましたが 意味がないという話をしてみたいと思います

 

意味がない と言われると 何を基準にしていいかわからなくなり、混乱する方がいらっしゃると思います

言葉というものはしばしば面倒なもので 一つの言葉にいろんな意味を含んでいますので、

言葉尻を捕らえると うがった解釈も出て参りますので 更に混乱したり 全く違う意味が出てきたりもします。

 

一つの出来事にいくつものストーリーやいくつもの意味が生産されます。

十人十色の体験やストーリーが生じるのです。

 

起きたことは一つで 真実も一つなのですが、

それぞれの人が自分の納得のいくように色付けしたストーリーを頭の中で組み立ててしまいます。

ここが 解釈の違い・価値観の違い・誤解の生じる地点です。

 

そう、人は自分のストーリーの中で出来事と戦っています。

 

そのストーリーを構成する重要な役割がルール です。

していいことと、しちゃダメなこと。

これらは多くの人間や生き物が同じ場所で共存するために

摩擦を少なくするための知恵でした。

喧嘩にならないように。

そのルールを大事に守ってきたわけですね。

ですから、そのルールという「意味」を 失ってしまうと

人間たちの欲望が 歯止めなく溢れて 世の中は無法地帯になるのでは・・・?  ( ̄へ ̄;)  

 という 不安を持たれる方も少なくないでしょう。

 

それは、 そのルールがないと そうなっちゃうよね?とネガティブなイメージと共に長年刷り込まれてきた成果です。

 

ところが、困ったことに、ルールというものは 一つの基準だけじゃないんです。

 

日本人の基準、アメリカ人の基準、タイ人の基準、インド人の基準

お国が変われば基準は変わる。

更に日本でも、東京の基準、大阪の基準、京都の基準、名古屋の基準、福岡の基準、鹿児島の基準、宮崎の基準  

都道府県でも 変わってきますし、

同じ県内でも住むエリアで変わってきますし、 

職業で基準や価値観の傾向が変わりますし、

育った地域、環境、家庭でも それぞれに価値観が違いますし、

それぞれの人の性格によっても 好みや良しとする基準は変わります。

 

更に、時代で社会のルールも変わり、世代で価値観や常識が変化します。

 

価値観や意味って とっても流動的なんですね。

 

そんな不確かな基準を 盾にしても あまり意味がないと思いませんか??

基準・ルール・規則・法律・意味

この中で普遍的なものは何もありません。

 

そういう意味では 何もなかった原始時代と 大して変わらないんですね。

 

私が若者だった頃、このことに気付くと、

大人や社会が言う 正しさ という観念がまるで煙のようなつかみどころのないものに思えてきました。

 

普遍的なもの、どの時代も変わらない 人間にとって 善い というものはなんだろう?

目指しても間違わないもの・・・

 

それが知りたくてしょうがなかったんです。

 

それから 悟り という心の揺るがない境地があることを知って それを知りたいと思ったし、

精神世界を知るようになってから さらにその中の正解を探していました。

これも理解するのに時間がかかったんです。

人は ついつい、正しさを追ってしまう。

 

違うんですよ。正しさなんて無いんです。

 

それぞれの正義と都合があるだけ

 

それを双方が理解した上で歩み寄ったり、労わり合ったり、共存したり

助け合ったり、与え合ったりすること

 

それが愛だと 知りました。

 

人と人、あるいは 人と世界が摩擦を起こすことを苦悩と呼ぶならば、

人は人や世界と戦っても 幸福は手に入りません。

戦いは摩擦そのものだからです。

 

仏教の六道で言うと、人間界の50%と、修羅界の戦いと

畜生道の弱肉強食、餓鬼界の貪り、地獄の苦痛の責め苦と恐怖

 

苦がないところは 天国だけ。

ん?そうかな、畜生界なんて差別的な名前つけられちゃってますが、

動物の世界は むしろ 人間より愛に満ちていたりするかも。

動物は本能の愛情と 自然界の秩序の通りに生きてる

弱肉強食があるということでは 人間界と同等なのかもですよ。

人間の 愛と我欲 ・ 動物界の生存本能

どちらも 愛があり、無慈悲なこともある。

愛があり、苦悩もある。

六道の順番を書き換えたいですね。

①天界 ②動物界 ③エゴがある人間界 ④争う修羅界 ⑤貪る餓鬼界 ⑥苦痛に満ちた地獄界

天界は思いやりで出来ているので 美しいところですが 

生れ変りで再び 他の六道に戻ることもあるので それもまた 永遠の平和ではないようです。

 

真の幸福は これらの六道から輪廻から外れて 仏の心(つまり悟り)に至ることだと 仏教では説かれています。

人は生きながらにして 六道から離れ、仏の心に繋がることができます。

 

その手段の一つとしてELM瞑想による空(くう)からのアプローチです

もちろん 一朝一夕にはいきません。

でも、これは悟りへの最短ルートだということを

私は確信しています。

 

瞑想であなたも 空(くう)の体験をしてみてください。

そこには悩みはありません。

 

 

アトリエ霽月 体験瞑想会 9月7日(土)10:00~12:30

参加者受付中です。

意味付けに必要なストーリー

出来事は ただ起きているだけ

 

それらに意味はありません。

人が出来事に意味をつけています。

意味が見いだせないと 苦悩したりしていますが、

元々意味はないのですから 実に無駄な葛藤です。

 

面白いのは、意味付けによってストーリーが生じることです。

意味をつける時に ストーリー仕立てにするので、

人は皆 すごい脚本家だと思うんですね。

それぞれの人が 出来事という材料を用いて、いろんなストーリーを考え出す。

 

それらは 自動反応的にも出来上がりますし、

自分の都合の良いように力技で 事実を歪曲させていしまうこともあります。

 

また、カルマが覆いかぶさって カルマを通したストーリーを仕立ててしまうと

すごい苦悩を体験することになります。

 

ドMです  (笑)

 

本人はあまり自覚がありません。

 

前の回に 私が嘘つきだった と書いたことがありましたが、

あれは 自分が作り出したストーリーで悶絶すると それをさらに歪曲して

内側では自分が罪人で 外側ではそれを隠している ということが起きる時に

本当のひどい自分を 隠して 良い人に見せようと苦心惨憺する状態 のことを言っています。

 

本当の自分を否定する自分が 自分を許せずに そうでない人のようにふるまう

ってことをするんですが、 他人にとってはどうでもいいことで

むしろ、その嘘に付き合うのが非常に面倒  と感じられてしまいます。

 

「ちがうやろ」  人様からは丸見えです(笑)

 

でもみんなは大人なので 本人が嫌がる 本当の自分が見えていることは あまり指摘しません。

 

だけど 時々、とても純粋で正直な人がいると 本当のことを言ってしまうので

トラブルになります。

 

自我は「そんなんじゃない!!」 と 大騒ぎしますが、

大なり小なり そんな です。

 

認めてしまうと 摩擦は起きなくなってしまいます。  (笑)

 

「まあ、そんなとこもあるかな」  (笑)

 

「そこまでひどくないけど?」

「そんな言い方はやめて。。」

「いいとこもあるんだよ」

「みんな変わらないよ?」

「あなたもね」

 

そう、みんなそんなに変わりません。

 

人を批難する時は 大概、自分の事は棚に上げてますから。

それに、批難 って その基準とか 意味付けも  大して意味ないんです

 

あなたの都合に悪いだけ。。。

 

ただ 起きることが起きてるだけ。

 

どうせなら そこでもハッピーでいましょうよ。

それ、意外と簡単なんです。

 

今の私が ハッピーで居ることを選択するだけです。

わんにゃん

信頼すればいいんだよね。

 

たぶん、今回のブログはツッコミたい人もいっぱいいると思うので続きをまた書きますね

苦労という宝物

辛いことが起きた時、

それは誰のせいでもない

ただ 事は 起きてしまうものなのです。

色んな偶然が積み重なって

いろんな衝突のエネルギーとか いろんな圧とか ちょっとしたうっかりとか

何気ない一つ一つの積み重ねによって

ある日突然 びっくりするようなことが起きたりするのです。

 

酷い摩擦は心に痛みを伴い、

また 病気やケガや ひどい時は死亡に至ることも

自分が死ぬことよりも 大事な人を失うことの痛みの方が強いかも?

 

引き裂かれるような痛みを伴って

大量のカルマは放出され 終わって行きます。

 

いやだ  なんて言っても 無駄

それはすでにセッティングされたもの。

この世界の 偶然を装った起爆剤で カルマの大放出はなされるのです。

 

え? 出来事自体は 大した問題じゃない って? 

そうです、出来事自体は重要じゃないんです。

 

あなたが持ってきたカルマは あなたが途中で止めようとするあらゆる努力をかいくぐって、外に出て行こうとします。

沢山あるなら 沢山 全部出て行こうとします。

止めることをしなくても最後が出て行けば終わりです。

 

そしてカルマが立去った後、あなたの中に隠れていた真我が輝き出します。

その真我は 愛でできています。

蓮つぼみ 

今まさに咲こうとしているあなたの真我

ダライラマ

しばらく間が空いてしまいました。

アップしたつもりのブログが未公開のままでした (;^◇^)

お待たせしました。

8/3現在、8/1のブログ今更ですが公開します。(^_^;)

clover clover clover clover clover

ダライ・ラマの言葉をご紹介します

SNS上で注目されている記事で多くの人々の意識の目覚めを促しています。

この考えは 悟りを少しでも知る人々に共通した意識です。

エゴを手放すと 平和で幸福な世界がやって来ます

 

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“The planet does not need more ‘successful people.The planet desperately needs more peacemakers, healers, restorers, storytellers and lovers of all kinds.

地球はこれ以上、成功者を必要としていない。地球が切に望んでいるのは、平和を実現する人や、人を癒やす人、修復をする人、物語る人、そしてすべてのものを愛する人たちだ。

 

It needs people to live well in their places. It needs people with moral courage willing to join the struggle to make the world habitable and humane and these qualities have little to do with success as our culture is the set.

この星は、世界をより住みやすく、人間的な場所にするための難行・闘いに進んで加わろうという倫理的勇気を持った人々を必要としている。

H.H.The Dalai Lama

カルマの解放をどうとらえるか

身体のカルマは不快な感覚や痛みとして表面に出て、出て行って終わる というお話をしました。

感情の時も同じです。
感情を味わうことはカルマの解放です。 感情が出てきて味わい、内側から抜けて 内側のカルマは なくなります。 
激しい感情が出ている時は このひどい感情がなくなるなんて信じられない という感じる方もいらっしゃることでしょう。
リアルに出てきてる感情を今持て余している
もしあなたが、そんな風に思っていたら 今日の話にお付き合いください。
今日はそんな 怒りの感情が消えない方 に向けたお話です。
 
自分は確かに怒っているし、苦しんでる。 あいつにとても腹が立っている。 あんなことをしてきたあいつにとてもとても 腹が立って 許せる気がしないんだ。。。。この怒りは 相手を打ちのめさなければ 消えるような気がしない。 そんなあなた。
もしくは、打ちのめす気なんてさらさらないけど、許せるなんて考えられない 関係ないのよ。関わりたくもないかんがえたくもないの。
私がそれを考える なんて お笑い種だわ。。。ε- (´ー`*)フッ 
なーんてこともある かもしれません。
 
許すとか許さないとか それはどうでもいいんです。あなたが その出来事をただ受け止めることができるかどうか。そう、その出来事があった ということを。
 
辛い 悲しい 悔しい 苦しい これらの感情のエネルギーがあなたからカルマを抜いていくのです。
大いに泣き、怒ってください。
それを一人でやる もしくは まき散らさない人を選んで立ち会ってもらいます。
そして手放すのです。
心の底からそれを出してしまうと あなたのカルマは 昇華していきます。
涙と共に これまでの多くの魂のカルマを あなたが解放するのです。
何にもないフリなんかしなくていいです。
持て余すエネルギーで他人を破滅させる必要もありません。
自分の怒りで誰かを傷つけたら 新たなカルマが生じてしまうので
解放してもカルマが減らない ということになってしまいます。
誰にもぶつけないように気を付けて怒りを発散します。
安全な方法で。
 
その使命を引き受ける勇気がありますか?
あってこの世に降りてきています。
渦中はとんでもない と感じるかもしれません。
「勘弁してよ、もう嫌だ、神様のバカ!」なんて悪態つきたくなることもあるかも (;^ω^)
いえいえ、神様がしたんじゃない
あなたの魂が選んできた人生です
これからのあなたの人生と世界を浄化するのはあなた自身なんです。
 
そんな役目 引き受けた覚えはない! と自我は言いたいでしょうが、
どうやらそのお役目は魂の時に引き受けたようで もう避けようがないみたいです。
 
逃げてると いつまでも課題が追いかけてきますが、
覚悟を決めて正面から向き合いますと、
ホントに不思議なくらい スッと 抜けて行ってしまいます。
まぁ、抗いようがないんですが。。。
 
抜ければ抜けるほど、あなたの心の奥深くに沈んでいた重荷や苦しみが減っていくのを体験するでしょう。
 
人生は カルマの影響を受けないで真実を見るようになりますと 実に感動的です。
凹んだままの人生なんてまっぴら
苦しみの幻想を踏み越えて その向こうの広大な景色・・・
見てみたいと思いませんか?
 
山を越えて
 
突拍子のない話に 目が回る人がおられたかもしれませんが、
人生は映画よりもダイナミックです
あなたの人生はハッピーエンドを待っています。scissors
今のあなたが知らないハッピーエンドheart02
いや、ハッピースタートですheart04
 
 
ELM瞑想およびフルフィルメント瞑想実践者の方々へ
 
今後の瞑想会の予定です 詳細はこちら→ 瞑想会の内容
 
6月30日(日)10時~18時 一日瞑想会
7月21日(日)10時~18時 一日瞑想会
  23日(火)10:30~14時 ランチタイム瞑想会
8月18日(日)10時~18時 一日瞑想会
  27日(火)10:30~14時 ランチタイム瞑想会
9月15日(日)10時~18時 一日瞑想会
  24日(火)10:30~14時 ランチタイム瞑想会

16seasons

16seasonsFacebook

 

京都でのグループ展始まりました。 

展覧会の名前は16seasons

16の季節か。。。4年かかるな(笑

いえ、16人の景色 というような意味合いなんですけど。

今日11日の(私の)様子は 

Facebookにて公開中です。up 写真をクリックしてみてください。

私が画廊にいられるのは12日までですが、(それと13日の最初の方に少し)

いろんなお友達が来て下さいます。

私にとって 友達は家族と同じくらい大好きな人たちです。

今回 会えない友達も 大好きな人たち(けっこうたくさんいます)

ほんとつくづく なんて人はこんなにラブリーなんでしょうか

なぜか私の周りにはラブリーな人しか現れない気がする。不思議。

 

今、自分とこの世界のキラキラな幸せがいっぺんに集まって大合唱しているみたいな幸福感が降りて来ています。

こういう時、私は、神様が私たちのl体を通して喜びを表現している という感じがするのです。

こういうキラキラした感情を感じる時 時は止まり、今しかなくなります。

仲良きこと(愛)は美しき波動。

 

いろんな悩みがあったりなかったり

喜びも苦しみも 通して 私たちは生きる幸せを体感していくのです。

 

内側に溜め込んだカルマの感情を解放してしまったら、残るのは真我

 

真我 つまりこの世界の意識の喜びが 直に肌で感じられます。

 

どうぞ 体験することをおそれないでください。

着地点は 静かな空(くう) この世界そのものです。

 

湖の表面に映る景色は様々ですが

いつも湖は あるがままなのです。

入って行く水、出て行く水

堰止める必要はありません。

その流れが 澱みを浄化していくのですから。

 

 

 

 

思い込み

思い込みというものは あまりにもそれが当然のように感じているので 

思い込んでいることを自覚していません。

 

この世界の事 どんなものだと感じているのか

自分自身はそれを現実と受け止めてきたので 自分の見ている世界が 真実だと思い込んでいます。

 

実際には 真実は一つしかありませんが、

人はそれにいろんな解釈を加えるので

それぞれの人によって 様々な世界を見ています。

 

この世の中は生きにくいものだ とか

渡る世間は鬼ばかり とか

この社会は腐ってる とか よく聞く言葉ですが・・・

 

それはこの世界の一面、いや 断片に過ぎません。

 

あるものは もちろん キレイなものばかりじゃありません。

醜いもの 黒いもの 悲劇や 苦しみ 

実に様々な要素が存在します。

 

ある時に見た衝撃的な体験が 心に焼き付いてその記憶が脳裏から離れない人は

それを世界だと思い込んでしまいます。

記憶は何度もそのイメージを見せてしまうので、

今起きていないものも今感じてしまう。

このネガティブな記憶がカルマです。

 

これが具体的なビジョンであることもあるし、

イメージが明確でない感情である場合もあります。

自覚しないほんのりしたエネルギーで存在している時は 

それが過去のものだと自覚せずに 現実に重ねて その 色 を見てしまいます。

感情という色です。

 

仏教の色即是空の 色 というのは

この世界を見ている私たちの目に映る世界のことです。

車窓の風景のような 記憶の風景 記憶の世界

でもその風景の実体 つまり 真実の世界そのものは

常に一瞬一瞬 姿を変え さっきまでの瞬間は 今は存在していないのです。

もちろん、流れ となっていますので、さっきのものが徐々に移り変わるので まるで同じものが恒常的にあるようにも見えますが、

それはさっきの世界とはバランスが違う状態です。

この常に移り変わる流動的な今 しか 存在しない。

 

しかも、その『今』を認識しているあなたの意識がなければ、 あなたの世界は存在しない ただの空(くう)に過ぎないのです。

空とはこの世界、この宇宙の器のようなもの

その中に存在するエネルギーと それらが具体化し、結晶して物質になる現象界

その両方にアクセスできるのが 私たち、肉体を持つ魂です。

魂は 観察者なんです。

肉体という体験を見届ける観察者

これを自覚している状態は 啓発(悟り)の状態です。

この空に限りなく近い意識、真我の意識は、思い込みの無い意識エリアです。

ただの観察者

ここから見ると 波動というものをリアルに感じます。

光か闇か 重いか軽いか 幸福かそうでないか

はっきりと明暗を感じ取ります。

 

あなたの人生を光に満ちさせるのに

何も所有する必要はありません。

ただ手放して存在そのものを体感することで

自分自身の存在そのものが光であることを実感します。

 

このような経験があることを魂はどこかで知っているのでしょう。

だから瞑想をするのかもしれませんね。

 

光を遮っている カルマの浄化をするために

ELM瞑想はあります。

 

あなたが求めているものは何でしょうか?

 

物質? それとも 光のような幸福感?

後者であれば 手に入れることは難しくないと思います。

このような真我の幸福感は 開いてしまうと 失うことがありません。

 

ただ、開くために必要なことを 続けさえすれば できます。

なんでこんな断言をするのかと言いますと、

強烈なエゴを持っていた私のような者にも出来ているからです。

 

エゴが大きな人は、元々エネルギーが強く、カルマさえ取り除けば

世界を救う力も持っています。

カルマにエネルギーを使うより 愛にエネルギーを使う方が

ずっとずっと幸せになれます。

カルマが減って 真我の意識を体感している者は、教育を誤ることも

社会を生きづらくすることもありません。

 

心地よい風を楽しんで 世界を慈しんでいます。

 

まずは 思い込みに気付くところから 豊かなな意識への道が開けます。

体験 

全てがただ在る という認識は宇宙意識

曼荼羅の中心にいる大日如来の視点です

究極の悟り

そこでは情は消え、ただ全ての存在を受け止める絶対的愛だけが存在しています。

 

その領域からもう少し内側、自我に近いエリアでは、視点がマクロからもう少し狭まり、

(例えば宇宙全体を見ている視点から 地球全体を見ている視点へ)

日本 衛星画像

近づくほど 物事の動きの詳細が見えてきます

沖縄・・・切れてますけど( ̄▽ ̄;) ごめんなさいっ

 

地球レベル

ここでは 波動のバイブレーションがあり、出来事の大きな流れを眺めています。

 

魂がこの世に降りてきて 経験すること。

それは分離した関係の中で知る 愛 です。

 

夫婦、カップル、親、子供、兄弟姉妹、 これら関りの深い関係の人々は

互いに関わり合うことで愛とそうでないものを体験する学びの友です。

 

また、友人、同僚、上司部下、先輩後輩、親戚、ご近所さん

関りがある人々はすべて 学びの友 と言われています。

好きな人も嫌いな人も。

 

今生、この体に降りてきた この魂は、この体とこの体質とこの性格とこの環境の中で 生きるという体験 を通して学んでいます。

何を学ぶか? と言いますと、様々な体験によってこの世界を知る 学びなんです。

創造主の神=真我=私たちの核 は どんな体験でもやってみる価値があります。

善い事もそうでないことも

 

沢山の人間たちはずいぶん愚かなこともやっちまいましたね。

仏教ではこれを 無明 と呼びます。

真理を知らないために 痛みの体験を選んでしまう。 

奪い合いとか殺戮とか

欲にかられてさんざんな事を・・・ 先人たちがすでに見せてくれました。

見てみてはじめて それがどういうことかを知ります。

自分がしてみないとわからないことは 自分で体験することになります。

 

やってみるとよくわかります。

愛とそうでないもの 見分けがつきましたでしょうか?

 

幸いにも私たち現代人は、過去のご先祖様たちが随分と沢山の事例を積み重ねてきてくれたおかげで

初歩的な体験は自分でする必要がなくなっています。

ありがたいことです。

犠牲になってくれた ネガティブ体験例のご先祖様、ありがとうございます。

貴重な体験は後世の人間が役立てることでしょう。

 

自分の悩みに埋没していたら、うつむいている視線を上げて、世界を見渡してみましょう。

 

この世界はエゴの思い通りにはなりません。

ただ、在るように在る 変化の過程なのです

 

ただ、世界が調和する流れと同じ方向を向いていたら

あなたの望むことは 世界が実現してくれることになります。

世界は調和したがっています。

バランスを取る性質を持っています。

愛は調和のことですね。

もちろん執着の愛ではなく、あるがままに居させる愛・無償の愛のことです。

 

流れと共に生きる

流れを眺めて生きる視点

それが悟りの視点です。

 

流れの方向を知っている者は 狼狽えることがなくなります。

 

この世界の流れを 楽しんで体験してください。

 

過去の傷に留まっていると 今を生きる事ができません。

今のあなたを生きてください。

 

すでに流れを知ったあなたは、

内側の摩擦を減らすと より心地よい今が感じられます。

瞑想で内側のお掃除を進めてくださいね。

目的地はここです。

あなたの身体がどこに行こうと、どう変化しようと

あなたの世界の中心はあなた自身のここ。

ここを整えます。

 

 

見せかけの美しさ 波動の美しさ 

最近、私の感覚は すっかりワンネスで

この世界の生きとし生けるものすべては 一つの命の変化形で

様々な姿を現す表現 でしかありません。

生命は神秘です。

 

様々な色や形に咲く花々。

白いものもあれば彩り鮮やかなものもあり、更に 黒くておどろおどろしいものもあるかも? 

20195523257.jpg

一見、ギョッとする姿です お化け?

 

そもそも

何に驚くんだろう?

なぜその形? 本人にも自覚はないかも。

だって 生まれてみたらその形だった・・・

 

よく見ると面白い w

20195523221.jpg

ひょうきんですよね(笑)

奇妙なものって

それもご愛敬ではありませんか?(笑) 個性は様々です

 

人を近づけまいとして 怖い姿や毒を持つものもいます。

近づくな!!という波動、 近づくな!!という物質

怖れというカルマが毒を生むのでしょうか。

真っ黒

 

・・・・ |д゚)

 

毒毛虫さんの画像を上げようと思いましたが

 

思いとどまりました。  A ̄▽ ̄;)

 

話をもどします w

自分を守る仕組みですが、誰も近づけません。

よっぽど怖がりさんなんです。

傷付いたことがあるのかな?

威嚇する猫

やめろニャ!

精一杯怖く見せようと頑張ってます。

威嚇するカマキリたち

笑っちゃいけませんよ!威嚇されていることを認識してあげてくださいw

 

あなたはどんな表情を咲かせていますか?

 

表面の姿と 内面の波動

 

あなたはどちらを見るのでしょうか。


ねこ休み展

これ、好きな画像なんですけど。

安心と信頼のなせる業

委ねる心は平和ですね。

世界への信頼です。

 

あなたの心の内についた傷が癒されると

怖れや不安は消え 

信頼する余裕が生まれます。

瞑想であなたの内側を癒してください

遠出

北海道に行っていました。

正確に言うと 連れて行ってもらいました。

とてもスペシャルなギフト!

なんと36年ぶりの訪問でした。

ほとんど西日本で過ごしているので

北部へは来る機会が少ないのです。

 

それにしても

毎回 飛行機に乗るたびに すごく不思議な気分になります。

空を飛んでいる・・・

人間の力というのは 大したものです。

まず離陸して思うのは

 

人間のコロニーがすごいな です。(笑)

この生物は 地表をほとんど加工してしまいます。

葉っぱに模様を作ってしまう生き物たちとおんなじに見えてしまいます。w

 

山々ですら 植林で管理されているのが見て取れると

もう驚異的だな って (笑)

 

その点、北海道は 人間の手の入らないエリアがあちこちにけっこう残っていて

なんだか とても自然に近い気がしました。

 

それから、

空の上から地形を見ると、本当に地図そのままで

更にテンションが上がります。

河が蛇行しているとか

山脈とか 

かつて学校で白地図に色を塗っていた頃の自分が 3Dで地形を見ています。

地球だ!

 

飛行機に乗るたび、そんなことになっています。。。w

 

かつては行くのに何カ月もかかった行程

しかも徒歩で移動という・・・ (乗り物が無かった時代の事ですが)

そんな距離を瞬時に

すごく遠くまで行って、そしてまた 帰って来る。

Oh my god!

 

でも変わりないのは

どんな場所に行っても、

どれだけ時間が経っても経たなくても

いつも視点は ここにあり、ここから世界を眺めています。

そう、今はこの体が拠点

 

私自身は 好奇心が強いので

目新しい事や見慣れないことは かなり面白いのですが

 

いつもの慣れ親しんだ環境もまた居心地が良いものです。

どこにいっても 自分のペースはほとんど変わりません。

ここに生きている私 今 生きている私

それは永遠の意識が ここから世界を観察している ということですが、

なんとなくそれが ジワジワと実感されます。

 

ただ感じる拡がり 「すごいな」

 

距離も時間もない 全てを包括した意識を 宇宙意識と言いますが

自然の雄大な風景を見ると 地球と一体になる感じで

すべてが一つの ワンネスの意識にゆったりとくつろいでいる

そんな感覚になります。

 

この世界(地球)は増えも減りもせず 一つのものが形を変え

循環している世界なんですね。

その一瞬は 美しい。

調和した世界は美しいのです。

有珠山