ダルマ

ELM瞑想マスター ボブからのメッセージ

緊急拡散

 

瞑想マスターのボブ・フィックスからメッセージです
ボブは予知能力もある方なので その発言にはとても注目しています。
今の不安にとらわれた社会の常識認識ではなく、真実を知ることは大切だと思っています。

ボブが言うことで違っていた ということはありませんでした。

どれだけその時反発があっても、ボブは見解を変えません。そしてそれらは現実となって行きました。

それを知っているので、私達瞑想教師たちは彼のサイキックな能力を信頼しています。
*マハリシの画像をクリックするとボブのブログ頁に飛びます

 Jai Guru Dev(ジェイグルデブ)マハリシの師匠のグルデブに祈りを手向ける言葉です

 

The only way to defeat Corona

The only way to defeat Corona

 

コロナに打ち勝つ唯一の方法は 光をもって 対処することです


そして愛をもって 愛をこめて

なぜなら 愛はこの宇宙の接着剤だからです

あらゆる場所にいるすべての人々との そして母なる地球/母なる自然/ダルマとの (繋がり)


偉大なマスターたちが いつも そうしているように、

私たちは協力しなければなりません!


人間のエゴが 宗教や戦争をつくりだすまでは、

すべての偉大なマスターたちは 一緒に協力していました


政府は いかなる力も持ってはいません


彼らは 恐怖しか 作り出すことができませんでした


恐怖がなければ、私たちは クリアな真実を 見通すことができます


私たちの外側に 敵は いません


私たち自身の思考が 私たちを打ち負かしてしまうのです!

 

  By Bob Fickes


 

波動と共鳴

人はそれぞれ 自覚のあるなしに関わらず 波動 があります

その波動の具合(周波数)によって 感じ方が違うのだなぁ と実感することがありました。

人は、自分の波動に近いものを好みます。

これは良い悪い とは関係がありません。

持っている波動が違うだけのことです。

音楽などは分かりやすいですよね。

瞑想をするような人はヘビメタなどのロックは大変苦手

でもそれに強く惹かれる人たちもいます。

彼らは癒しではなく、感情の解放を求めています。

必要とすることが違っているだけのことです

それ以外の行動に関しても同じ。

人がすることが理解できなくても責めないでください。

自分と違うものを求める人たちもいます。

 

以前、よく集まっていたスピリチュアルグループの中では

波動が違うと 一緒に居られなくなる と言われることがありました。

好みが違うのですから しょうがないですが、

好みの許容範囲は、広い人と狭い人がいます。

 

瞑想をするような 新しい時代の人々(真我で生きる人)は

エゴのとらわれを手放していくので

許容範囲が大きくなっていきます。

そばにあるものが不快だと感じることは少なくなるんですね。

じゃあ、不快ではなくてどうなのか というと、

ただ、なんでもなく見ている対象にすぎなくなるのです。

(究極?の)悟りは 世界そのもののあるがままを受け止めています

波動が高いものは好ましく、 低いものは 「そうなんだ」という感じ。

キライなものに反応する感じが カルマ と呼ばれるものでもありますが。

 

今日 意外だったので印象に残った出来事があったので、ちょっとお話をすすめてみます。

波動が高いはずのものをに 不快な反応をする人がいるということでした。

「え?これ?気持ち悪い?」 どうとっても、不調和は無い。。。のになぜ?

 

なぜこれを気持ち悪く感じるのだろう?

と とても不思議でした。

そっちの波動が低いから? なーんて。

 

たぶん ただ心地悪いのだと思います。

理由は後ほど分析します。

 

それも非難する事ではないんです。

ただ あるがままにさせておいてください。

 

あなたが もし 心地悪いと感じることがあったら、

心地悪いと感じている自分を観察してみてください。

そこから逃げるのではなく、

ただ、嫌っている自分を受け止め それもただ眺めます。

そして 手放すようにしてください。

あなた感じ方は 無理に変える必要はありません。

そのままのあなたで構いません。

あなたの中のカルマが反応していたら

そのカルマは 抜けていきます。

出て行く瞬間が心地悪いだけです。

出て行ってなくなります。

 

瞑想をしていると。

そうしたプロセスを経て ただ純粋な意識へと変容していきます。

そのあなたの真我は 高い波動に純化されていきます。

真我は純粋なのです

 

古い意識 エゴとマインドに支配されているうちは その世界観しか見えませんので、この状態の時は説得してもしょうがないんですね。

旧世界観の外側は未知の世界としてとらえられ、恐れを持ってしまいます。
いまはまだ、世界の流れ(ダルマ)を信頼できていない文化が終わっていませんから 当然です。

意識の浄化が起きること は これまでの価値観を奪われるようなものなので

不安な感じになるのでしょう。

そういう時、抵抗の怒りが生じます。余計に旧世界観にしがみついてしまいます。

このような方々を責めないようにしてください。

 

いずれは 調和していきます。

間違っていると無理に鎧を剥ぎ取って 

彼らの怖れを煽らないようにしてくださいね。

あなたが変えさせる必要は無いのです。

しがみついている時に引き剥がされる恐怖はトラウマになっちゃいます

あなたは 愛で見守るだけで十分です。

助けを求められた時だけ 手を差し伸べてください。

神さまも同じ、望まれないことはしません。

人々はただ、流れに導かれるのです

あるがままにさせるのが愛

 

しがみつくと言えば、、、

この画像はツボでした(笑) やってみようかな!(笑)

202041223199.jpg

 

面白いアセンションの話

『あの世に聞いたこの世の話』 の著者 雲黒斎さんこと黒澤一樹さんが最近の情勢に合わせてYouTubeでライブ配信を始められました。

雲黒斎さんの話は説明がとても難しい内容をわかりすく私たちの世代の話題に例えて話をしてくださるので、とても合点がいきます。とっても面白い。

最近のライブ動画を見て ちょっとハマってしまい、これまであっぷされたものも見たり。

講演会並みのクオリティのものも多々あって、これは見ないと損だな~ と思っています。

そのお話の中で 

悟りの価値観を新しいパソコンソフトに例えていました。

アセンションは新しいソフトが開発されて頒布スタートしたということで

新しいバージョンが来てそれを導入するかどうか は ひとそれぞれなので

全体に行き渡るのはある程度時間がかかる とのこと。

で、その中でも、新しい機種のパソコンは新しいソフトがスムーズに入るけど、

これまで使っていたパソコンは容量が足らないのでこれまでのデータやソフトを削除しないと入らなかったり、うまく機能できなかたりします。

更に、旧式パソコンは、そもそも容量が小さすぎるので新しいソフトのデータが入らない。

私たちの脳も そういうことみたいですね。

旧式の価値観では時代の波についていけなくて、どんどん生きづらくなってます。

もう使い込んだ記憶や価値観をどんどん手放して これからの未来を気持ちよく生きる いまここ方式を採用したいと思います。

シンプルイズベスト

何が旧式の価値観なのかは すでにご存じの方も多いとは思いますが、

改めて聞きたい方は、黒斎さんの話にどんどん出てきますのでご参考になさってください。

雲黒斎さんの動画はこちら

うんちャンネル

パソコンの話が出てる100回記念の回を上げました。ちょっと長い動画になってます

ちなみに雲黒斎さんのペンネームは、会社勤めの時に身分を隠さなければならなかったので この名前

観察

自宅で過ごす時間が多くなり、インターネットを使う時間も増えているのではないでしょうか。

テレビのニュースにしろ
いろんな情報が飛び交っていて ニュースで報道される事すらも 本当に真実なのか? わからない時代なようです。

例えば、アメリカの医療現場では混乱とパニックが起きているというニュースが報道されている中、市民が病院を訪れると病院は閑散としている様子を市民の投稿 として出ていました。

理解が出来ない時、頭(マインド)はフリーズします。

そういう時、マインドは理解しやすい事のみを採用してしまいます。

 

実際は誰の判断が正しいのか 真実はまだ見えないんですね。

混乱しているところも実際にはあるでしょうし、

危機が全くないわけでもない。確かにコロナは感染力が強いウイルスなのです。

死者も出ている。

未知数なので 最悪のケースを想定しての対処だと思いますが、

大切なのは早く真相を掴むことなんですね。

でも、まだ今はわからない。 時期を待ちましょう

嵐が来る時、落ち着いて空を見ます。

閉じこもるより、空は見上げてください。

一人で外気に触れることは悪い事ではありません。

 

情報は、あればいい というよりは 正しい情報が流れることが必要です。

でも、何らかの意図が他にあって、真実でない情報すらも真実のふりをして垂れ流されていることも事実のようです。

私が危惧することは、公的な発表が必ずしも正しいとは言い切れないこと。

今の日本の行政府はかなり利己的な要素が強いのです。(それだけとも言いませんが 先の震災ではいろんなことを隠しました。)

必ずしも国民が第一ではない ということは皆さんも少しずつ気付き始めていると思います。

民主主義国家である日本で暮らす私達国民は この国をどう修正していくか?

という課題に直面していると思います。

危機がやって来て、歪みが露呈します。

怒りではなく、愛とは何かを見てください。

従順ではなく、自分自身の愛の判断を見つけましょう。

何をすべきかはケースバイケース でもあり、100%の正義 というものは存在しません。

他者を責めることは無明である 

自らができることを内側に見つけていくことが求められています。

まだ、真実が見えないうちは 動かなくていいと思います。

多くの情報を ただ観察してください。

人々はそれぞれ、口々にいろんな意見を言います。誰かが言うことが真実なのではありません。

それぞれにその時点でそう思ってることを発信してます。

だけど、時は刻々と経過し、次第に真実は明らかになっていきます。

人々の見解も変化します。

この世界では裏側で情報を操作する人たちも存在します。

ただ鵜呑みにしないで、はっきりしないうちはよく観察してください。

偏見でなく 何が真実で何がフェイクなのか 観察します。

他者を批判するよりも、静かに自分を見つめる時ですから。

あなた自身の生命力と 生命力を信じてください。

そして生きていることの実感を感じてみてください

命として存在することは それだけですごい現象なんです。

硬さを緩めてみましょう。頭も体も

ただ、深刻さを手放す ということです。

深呼吸をしてあなたの魂を抱きしめてください。

徐々に落ち着いていきます。

そして、あなたに真実が見えてきた時、あなたがこれだ!と思う時は行動してください。

 

奪われて 空になったスペースには 新たにエネルギーが流れ込みます

流れを信じてください。

私たちはこの世界で 生かされているのですから。

困難の中に入る時ほど 静まります。

静かに観察する時 命の根が深まります。


樹の根


命は自由自在に柔軟なのです。

あなたの命もです。

 

 

ぶれない意識

外出自粛がしばらく続きそうですね。
コロナウイルスは 健康な若者にとってはさほど怖がる必要はない病気なのですが、

ウイルスを持ち運んで 弱った人に移してしまうと発症した人の中には重症化して絶命してしまう方もいる という問題があるので

やはり好き勝手に動き回るわけにはいきません。

情報を見ていると、イギリスなどは 一回かかって免疫をつけてしまおう という考え があるとかないとか。

これは犠牲になる人々にとってはとても不安でしょうね。

でも、本当に誰が重症化して誰が平気なのか というのは まだはっきりはしていません。

私などは、大丈夫か?というと、引っかかる要素もあるので そんなに大丈夫と思っているわけでもないのですが(笑)

まずそこそこ年齢が高い 元々体質的に肺が丈夫ではない

2年以上前から原因不明の肺の炎症を持っている などがありますので、

それは今のところ全く良くも悪くもなっていないのですが

肺炎に対する耐性はあまり高いとは言えません。

ただ、不安か? というとそれはないんですね。

どう思っているのか? と言いますと、

どう防御してもなる時にはなるだろうし、なったらなったで、死ぬなら死ぬでしょうがない と思っているんです。

命が尽きる時、それが宿命ならば きっと避けられないでしょう。宿命は粛々と受け止めるまでです(実際直面してしまったらショックだったり泣いたりはあるかもしれません)

 

でも、どうなるかわからない今、死を恐れて 今の時間をネガティブに過ごすことの方がずっと時間がもったいない と思っているんですね。

それに、もし、とても必要だと感じたら ちょっと危ないと思うことでもたぶんしそうだと思うんです。

他人に迷惑をかけるという意味ではありません。

多くの人々や、この世界に 役立つこと と確信することならば、やりたいと思うでしょうし、チャレンジしてしまいそう。(^_^;) そういう性格

 

死に関することは もうだいぶ前から ほとんど恐れがありません。

あえてビビる?ものがあるとしたら、

死ぬ瞬間が苦しいのかどうか、痛いのかどうか ということでしょうか。coldsweats01

でも、それもなってしまったらジタバタしたところで自分にはどうしようもなく、ただ、お医者様などにサポートしてもらって少しでも身体や気持ちを楽に過ごすことをするしかないですもんね。

嫌だとか言ってもしょうがないことはしょうがないし、

それは普段どれだけ身体に良い生活をしているかどうかの結果だったり、(不摂生の部分は自己責任かな)

元々の宿命(カルマ)次第だったり、神仏の御意思だったり…

人間は必ず死ぬ生き物ですから、それが早いか遅いかの違いだけですし、

 

今となっては 生きているうちに絶対しなければ悔やんでも悔やみきれないような思い というものも もうありません。

これはずっと望んでたことが叶っているのだと思いますが、今は何も執着がない ですね。

執着がないと、苦しみがありません。

今 生きている。ただ体験しに来たこの命です。

 

それと、

魂そのものが死なない ということも もう知っています。

 

私が死んでも 私は世界を見ていると思いますし、

今、その感覚が分かっているようでもあります。

 

ただ、静かに見つめる目と この世界と生きとし生けるものへの静かな愛が そこにあります。

私が この体にいるうちは、この体を使って、愛する世界に愛を放ちたい。

ただ そういう思いで毎日を過ごしています。

恐れるものは何もありません。

ただ輝く一つの魂でいるだけなのです。みなさんも同じ存在です。

蓮池

花が枯れても 命は続きます。

葉であり根であり種であり、水であり気であります。

 

必要な事

物質重視だったこれまでの世界観から 次に移行するのは

霊性と波動を見るようになる世界です。

高い波動は心地よく幸福で平和ですので、欠乏とか苦悩というものには無縁です。

 

物質重視の人々は 物質を確保することに夢中になります。

お金は特殊な形ですが、これもエネルギーと時間が変換された物質とみなします。

その物質を将来的にも確保しようと人間は必死になってしまいます。

これは欠乏の怖れからやって来ます。

まだ起きていない欠乏の幻想です。

過去に欠乏した時の痛みの記憶

それは怖れや不安として内側から湧き上がります。

私は戦後の日本のカルマは 多くが戦争によって作られたと思っていました。

戦争による負の体験、恐怖と欠乏の体験が 人々を貪欲にさせました。

それをしないと生き残れないという危機感は、戦争が終わって復興以上の発展を成し遂げた後も、なかなか手放せず、その世代は獲得のために人生を過ごしました。

でも、戦争を知らない世代は、そのカルマを引き継ぎつつも、

その行動に疑問を持ち始め、更にその下の世代になってくると

貪欲さ自体に疑問を持ち始めます。

 

そう、人は、過剰な資本や財産を持っていなくても、生き延びていけることに少しづつ気付き始めています

でも、すでに多くのものを持っている人々は、それを失う恐れを持っていますので、なかなか偏った構造を手放せません。

引き剥がされ、奪い取られるまでそれらを自分のものだと信じて 守り維持しつづけようとあがくのです。欲と執着です。

世界は バランスの悪いエネルギーは平均化させる法則を持っていますので

その歪みは世界からの圧によって押し流されてしまいます。

態勢が崩れる というのは 積み上げすぎた積み木が崩れるようなものです。

容器を傾けるとその中の水は流れて低い所に行くように、

それを塞いでいる壁に圧がかかるように、

せっかく作ったダム湖が堆積物で埋まってしまうように

圧がかかりすぎると それはやがて崩壊していきます。

小さな土台の上に巨城を築き上げることはできません。

 

自然が作った地表を塗り固めて我が物顔で増えていく人間

私たちが自然と調和しないで生きていくのは 問題があります。

それをしたいならしてもいいのですが、世界が持っているエネルギーの対流の上に生かされている ということは自覚しておかねばなりません。

 

この世界で、与えられたもの 奪われるもの

来るもの 去るもの があります。

世界の都合は 私達人間の意思とは関係ないことも多いですが、完全に無関係ではありません。

与えられても求めていないものもあります。

欲しくても来ないものや、もぎ取られるものもあります。

選ぶもの 選ばないもの は自由です。選べないもの もあります。

無意識に選んで引き寄せているものもあります。

本当は選んでいるのに自覚がないと なかなか大変です。

選び方さえ理解していれば、 あなたはもっと欲しいものを手にしやすくなりますし、

手に入ることがないものを無駄に欲しがることもなくなるでしょう。

 

今の時代は 科学や理論を頼りにしていますが、

まだ解明されない微細なエリアの波長の影響にはとんと無頓着です。

もうすでに多くの人々がそれに気付き始めていますが、

あなたが 過去の世界観を握りしめているうちは 

新しい世界観は現れないで、現世の混乱を目にします。

 

新しい世界観、悟りの目覚めを経験した人は

同じものを見ても、そこに苦悩を生じませんし、

トラブルはすり抜けていきます。

この感覚は手にしてみないと理解できない というのが

壁が高く見えてしまう原因です。

本当は壁などそんざいしませんが、

心の中の幻想の古い世界観という壁が立ちはだかっているからです

壁、あるいは、飛び越えられない谷 みたいな感じで

それらの幻想があなたに恐怖を与えます

 

怖れや不安は 幻想です。

これを克服するには

今 偏見にとらわれることなく ただ世界の真実を観察してください。

ブッダの眼は、あなたの内側から世界を見ています

ブッダの眼で見てください

ブッダの眼

ブッダの眼はこの世界のすべてを見ています。あなたの内側も。

ネパール寺院

ウイルス

コロナウイルスの影響が続きますね

このところ第2波といわれる感染拡大が起きています。

どのくらい拡がるのか、被害が影響するのかははっきりわかりませんが、

すぐに以前の生活に戻れそうにはない様相です。

狼狽えることはしないでください。何もいいことがありません。

どんな展開になるにしろ、私たちは冷静に善処していくしかないのです。

人間にとっては 現状が維持できないことはとても困ったこととしてとらえられますが、

実際は悪い方向に向かっているのではないんですね。

この世界は、人間だけのものではありません。

人間のエゴの思い通りになるもの ではないのです。

私たち人間がこの世界の一部で、

私たちが本体の地球や他の生命を蝕む過剰な勢いの存在 であれば、

全体に淘汰されていくのは仕方がないことです。

人間の繁栄が長らく続き、維持できないほど活動が大きくなりすぎた場合、

世界全体のバランスが崩れて 崩壊が起きます。

 

もう何年も前、

「私たち人間がしていることは 高速道路の1km先に子供を立たせて

アクセル全開で走っている車のようなものだ」 と言っていた方がいました。

お名前は忘れましたが、海外の研究者の方だったと記憶しています。

地球資源を貪り、無駄なものを製造しては廃棄する消費社会、

お金 というものを生み出すために、地球を貪っているのは我々人間の日常生活です。

人間の中でも搾取が起きているので、

お金を集める1%の人と 生産して吸い上げられる99%の人 という対比があるそうです。

1%の人がお金の流れを操って作る社会のシステムの中で

99%の人間は生産物であるお金を算出する土壌として扱われます。

こんなアンバランスな世界が安定するわけがありません。

 

私達多くの人間が無自覚に摂取してきた毒も問題です。

そう、化学物質と それから電磁波。

これらのものは即座には影響がありませんせんが、長年に渡って浴びることによって 私たちの身体を弱らせ免疫力や生命力を低下させる作用があります。

もう私たちは本来の生命力を取り戻すために自然体に戻る必要があります。

 

西洋医学で、薬品やホルモン剤やビタミン剤など 元気になるものを提供してもらいながら、身体を大事にしない働き方や意識の持ち方をしていることにも 

気付いていかなければなりません。

 

これまでの漫然と歪んだまま成り立っている状態から 

出来事や 試練に 冷や水を浴びせかけられて、

私たちの意識は 本当に大切なものは何かを気付いて行く必要があるのです。

 

では、本当に大切なものとは何か

それは 一言で言うと「愛」ですね。

思い遣り、慈悲、助け合い、無償の愛 です。

全体は個のために働き、個は全体のために働き、

尊重し合い、支え合う 

怖れや欲や執着に支配されず、平和と調和で維持される世界

 

これは義務ではありません。

全ての人に同じ行動を求めるものでもありません。

愛の大きな人が全体を導きます。

 

そして、今回のウイルスは 毒素を排出するもの とも言われています。

波動の毒、ネガティブ波動ではないでしょうか。

心に毒を持つ方は それを手放してください。

心の毒とは 怖れ、不安、エゴ、執着です。

 

心が平安な方は このウイルスは発症しにくいのです。

瞑想はあなたと、あなたをとりまく環境を浄化します。

強力な浄化をもたらすELM瞑想 ぜひ お役立てください。

 

ただ、静かに自分自身と世界を見つめる時間

何もしない時間 は 大切です。

 

『食』のイメージ

私達人間は 思いにとらわれています。

傷付くこと、悲しみ、怖れ、怒り、うらみ、劣等感

プライド、損得、所有、優越感

常識、正しさ、理想、夢、希望

これらはみな 私たちをとらえている心の中のイメージです。

つまり 真実 ではなく 幻想

心の中だけにある存在感です。

 

真実とは 一瞬一瞬変化して流れている 今 という瞬間です。

そこにはこの瞬間の身体と、この瞬間の世界の状態という 存在 そのものです。

そこに意味や解釈を付け加えて着飾ったり誤魔化したりできない 真実そのものが存在しています。

存在にイメージを付け加えて、都合のいいように味付けしてとらえているのは 人間たちです。

 

先日の出来事ですが、買い物に行く途中、車の助手席に乗っていて何気に見た居酒屋の のぼり に

『朝引き鶏』って書いてありました。

一瞬意味がわからず、次の瞬間に「ああ、」と思いました。

隣にいる夫に「朝引きだって、」と言いました

「何を引くと思う?」

夫「苺とか?」 「魚かな?」

私「鶏 って書いてあった」

夫「あーね。」

私「朝、殺した鶏って」

夫「殺した って言うな~!」

言葉が変わると印象が変わります。罪悪感が減る。

殺す という言葉には罪の感情がくっついています。

それと、焼き肉店とかお肉屋さんの看板で

ナイフとフォークを持って笑っている牛さん豚さんのイラストが描いてある看板も激しい違和感がありますね。泣いてるんじゃないんだ~crying

泣いてる絵を描いたら売れませんけどね

調べて見たら同じ違和感を持ってる人が沢山いました。

違和感キャラ 豚のパーティ

このブタさんたちは何の肉をたべているのだろう・・・?

この画像の下に養豚場の画像もありましたが、

貼るのをやめました。 見ると少なからず凹みます。

人間は欲望のために感性を麻痺させて鈍感になっていきます。

 

15年ほど前、狂牛病という牛の病気が流行った時、感染した農場の牛たちがまとめて殺処分になったことがありました。

多くの人が心を痛めてその事態を見ていましたが、

牛にとってはどうでしょう?

病気で死ぬか屠殺場で殺されるかの違いしかありません。

殺処分を命じられた酪農家の人が、インタビューで

「この子たちは可哀想に。お肉になって食べてもらうことができないなんて」

と言っておられたのを、激しい違和感を感じて聴いたのを思い出します。

大量殺処分も屠殺場も アウシュビッツ と大して違わないんじゃないか

と不思議に思うことがあります。

人間は欲望のために感性を麻痺させてエゴイスティックになっていきます。

良いとか悪いとかいうのではなく、自分たちがしていることに無自覚だ ということです。

 

私も牛豚鶏を食べることがあるんですよね。 お肉は美味しいと思いますよ。

滋養 って表現を昔の人はしました。

パワーの元 でもあるんですね。

 

現代人は、スーパーからスライスされた肉片を買って来て調理したりします。

買う時は肉片ではなく、食べた時の味を感じているのかも。

子羊や子ウサギをみて「美味しそう」って言っちゃうおじさんみたいな感覚なのかな。

年齢と共に、それと瞑想するようになってから

食の好みが変わり、あまり食べなくてもよくなりました。

ストレスを作らず、自然な在り方に戻ると、本当に必要な量というのはそれほど多くないことがわかってきます。

最近は そこまで動き回らないので、ベジタリアンになってもいいかな と 思いますが、

徹底まではしていません。

人間は雑食性の生き物でもありますし、現代でそれを取り除くことは かなり手間のいる作業でもあります。

 

食べる という行為が他の命の犠牲の上に成り立っている ということは 理解する必要があると思います。

なので、食べ残しを捨てる とか 売れ残った商品を廃棄する なんてことは

殺した命に対して許されるのかな? と思うことがあります。

人間は傲慢で都合が良い生き物です。私も含めての話です。

鈍感になりすぎてはいけないな と 時折思い出します。

 

でも、なんでもかんでも罪悪感を持つのも違うと思っています。

この世界では他の生き物を食べるサイクルで成り立っています。

食べたり食べられたりしています。そうやって肉体を維持する世界にいます。

ただ、享楽のために大量に無駄に殺すということを許される と思っているということは、

自分たちが他の生命体に虫けらのように殺されることも 仕方ない と考えるのと同じ と思います。

していることに気付かず、されたことだけを恨みに思うのはおかしい のです。

 

世界(ユニバース)にとっては、牛も豚も鹿も魚も人間も虫もウイルスも同じ

命という存在なのでしょう。

大量発生して 淘汰されるもの

増えすぎたら世界がバランスをとるために減らされる現象が起きます。

人間は 自分たちの都合でかなり自然のバランスを操作するように文明を発達させました。

そのおかげで世界のアンバランスは更に増大し、

最終的には 大きなダムが決壊するように全体が0に戻ろうとします。

 

この歪みを感じなくなっている人間はその時にパニックになるでしょう。

私たちは今、人間が何をしているのかを冷静に見て 理解する必要があります。

そこに良い悪いはありません。

ただ、原因と結果が存在し、ただ全体が存在しつづけるだけのことなのです。

生き物たちはそれぞれ、与えられた生命を生ききるだけのことですが、

生きて増えることがアンバランスを生じ、そのまま突き進むのみなら それはいつか世界(全体)がバランスを取るために それらは淘汰されます。

 

これを『神の意思』と呼んでいます。

教室

週末21日はNHK文化センターの仏画教室でした。
NHK文化センターでは初歩の仏画をご指導しています。

毎月第3土曜日で、4月からの生徒さんを募集しています。

これ以外にアトリエと中央市民センターで主に月曜日に教室を開いています。

この場をお借りしてちょっとお知らせをさせてください。

3月31日(火)は当初市民センターで行われる予定でしたが、市民センターに来られる方がほとんど3月をお休みされるので、アトリエでの教室に切り替えました。

コロナ騒ぎなどもありますので、当分の間は急なお休みなどでも遠慮なくお申し付けください。キャンセル料などはいただきません。

キャンセル料と言えば、5月8日のボブさんの瞑想会で 他地域に倣って事前支払いで直前はキャンセル料を頂く設定にしておりますが、コロナウイルスの影響や体調不良で見合わせる方はキャンセル料は頂きませんので ご理由を明記の上 お知らせください。対応させていただきます。

そんなこんなの まだまだ続きそうなコロナ騒動ですが、
働きすぎ & とらわれすぎ の日本人にとっては、

生活スタイルを変える 絶好のチャンスにもなるようです。


これまでできなかった働き方改革が 外出しにくいこの状況でどんどん実践されていますね。通勤ラッシュを避けるための時差出勤とか、在宅勤務、テレワーク、オンラインワークがどんどん導入されている とか。

あ、そうそう、アトリエ霽月も オンラインセッションも もっと活用したいと思っているんですよね。

ご希望の方があれば どうぞご利用下さい。

ラインかメッセンジャーのTV電話、あるいは zoom が利用できます。


オンラインセッションのお値段は、

カウンセリング、EFT療法は

60分までは10分毎に1000円、60分以降は15分毎に1000円頂戴いたします。

瞑想セッションは、90分5000円です。 

 

本当に確実に新しい時代の波を ウイルスがもたらした と言えますね。

これは世界の意図 でもあります。

つまり大いなる存在(神)の意図

世界の観点から見れば起きることに無駄は無いんですね。

人間にとって都合が悪いことだとしてもです。

 

今年の後半からは、食料品の廃棄を止める、食糧難が来そうですし、

本当に 困った というよりは 新しい波と、より自然な生き方がどんどん身近になっていくような気がしています。

昔は当たり前だった リサイクルの意識も もっと戻って来ると思います。

無駄なく、この世界のあらゆる命は全体の幸福を増やしていくようになります。

 

ですから、世界に優しくない在り方は 淘汰されていきます。

 

教室の話から だいぶ 話題がそれてしまいましたが、

そんな気ままさも OK ということで (笑)

その時その瞬間を生きております。

 

 

百聞は一見に如かず

経典のお勉強で理論をどれだけ読んでも

体験しないことには 悟りは理解できません。

 

リンゴの味は リンゴを食べないとわからない のと同じようなもので

悟りという体験は 体験しないとその感覚を理解することができません。

でも、わかってしまうと、とても普通のことで 特別でもなんでもない。

リンゴを食べることはそれほど難しくないのと同じように

悟りを体験することも ほとんど難しくありません。

 

食べても美味しさがわからない とか、

どうしたら分かるのが難しくなるか? 

ちょっと考えて見ました(まだ リンゴの味 に例えてます)(笑)

激辛の唐辛子をぶっかけてる食べ物ばかりいつも食べてる口 とか

口内炎で荒れきっている口 とか

味覚を失ってしまった舌 などでは 味わえないかもしれません。

 

先日 何気にダイエットスープの話題が出ていた時に、

腸をお掃除するダイエットスープ食事療法とかファスティング(断食)をした後、

食べ物の味がこれまでと違って 素材の味をしっかり味わえるようになる と

経験者の方が言っていました。

野菜などの味が 甘く 濃く 美味しく感じるのだそうです。

化学調味料や 砂糖、や 添加物が沢山入ったジャンキーな食品に慣れてしまった口には、素材のみは刺激がなくて美味しいと思えないかもしれません。

特に調味料が加わらない食べ物そのものの味・・・

本当は美味しいのです。

自然を感じられる身体に戻すには

身体を自然体に戻す習慣も必要になってきます。

味覚 旨味を感じさせる化学調味料

それと同じような作用のジャンキーな観念が

私たちの意識を自然にいさせる邪魔になっているかもです。

ジャンキーな社会通念て どれのことでしょうか。

慣れ切って それに違和感を感じなくなっているものです 

 

面白いことに、瞑想を続けていると、

余計なものを排除する流れに遭遇します。

これには、ちょっと霊的な意図を感じることもありますが、

身体自体が自然に戻ろうとする時に、自分でそういうことを起こすエネルギーが発生するのかな? と思ったります。

真実は神のみぞ知る ということかもしれませんが

いずれにせよ

私たちが自然体に戻り、更に 真我の愛にふれる という方向性は 定まって参ります。

それを感じ始めた時、

真我の愛 悟り というものがいかにゆるぎない幸福であるかを実感するようになります。

あるがままの美しさ

たんぽぽ