ダルマ

誰のせいでもない1

この世界で起きていること

私達人間は 人間目線の都合だけで世界を見てきましたが、

それだけでは済まない時代に入ってきました。

人間が増えすぎて 人間の都合でエネルギーを消費していると

足らなくなることももうすでに多くの人々に認識されています。

そんなエネルギー問題だけでなく、

私たちの日常で私たちが発する微細なエネルギーや波動に関しても

認識されるようになってきました。

私たちが 波動でできている ということも

少しづつ理解する人が増えています。

原子を構成する陽子や中性子を作るクォークという超微細な微粒子が回転運動をしていてその振動体の集積で出来ているのが物質界なのです

物質とエネルギー

地球上のあらゆる命が発生して それぞれの性質を生きていると

相互にぶつかり、混じり合い、関係性とエネルギーバランスで

全体を形作っていく

その形状や構成の加減は 偶然の集積によります。

自然の造形美 というわれるものです。

雪の結晶

私たちはその法則性にたびたび感動します。

その偶然を神の意思 とも呼びますね。

樹氷

人間たちは自分たちがまるで神であるかのように思っていたりしますが、

そうではありません。

人間の思考や動きもその一つ(自然の造形)に他なりません。

 

人間を生きていると、

いろんなエネルギーバランスの中で心の内にいろんな感情が湧き起こり

色んなはずみでいろんな決断をしつつ、

その瞬間瞬間が出来上がっていく

それが経験です。

そして それもやはり偶然の集積であるのです。

しかしそこに性質という法則性が存在しますから

それは偶然であって 必然なのです。

誰が当事者になるかは なってみないとわかりませんが。

 

悟り の 真我の意識で見ている時、

見ている私は世界そのもので、

この体はその一部でしかありません。

たとえこの体をうしなったとしても、意識は世界を見続けるのです。

その時はエゴからも解放され

ただただ観察していることでしょう。

肉体の苦は存在できません。

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カルマは手放すだけ

カルマというものは、摩擦のエネルギーです。
エネルギーなのでやり取り(受け渡し)ができます。
抱え込んだ負のエネルギーを持て余して 誰かに受け取ってもらうとスッとしますね
 
ある方は 自分で摩擦を創り出し、それを人に配る ということを無意識にし続けます。
何かを嫌って、不愉快になり、その愚痴を友人知人に聞かせるパターンなど。
 
自分の感情のエネルギーを誰かが受け取ってくれると、肩の荷がおりますので、
それをやりたくなるのです。
 
でも、摩擦を作っているのが自分だということに気付いていません。
 
もらう側のことに目を向けてみましょう。
 
他者の解放は、単なるエネルギーの排出なので 解放に立ち会ってあげるだけで済むことも多いです。
その人はそれを口にすれば気が済むのです。
解決したければ動くことでしょう。
この場合、聞くあなたは 何もしなくていいです。
 
「出したね?スッキリした?なら良かった!」
吐き出した内容をすっかり理解しなくてもいいし、解決してあげなければならないことはないのです。 

もし、相手が解決してくれることをこちらに期待しているとしたら、
もしあなたが簡単に快く引き受けられるならいいんですが
そうでないとしたら、しなくていいです。
 
現代人はなにかと責任の所在を誰かに引き受けさせたがりますが、
自分の問題は他者に責任があるのではないんです。
それぞれの宿命や運命は本人に与えられた学びですので。
その体験によって意識が愛に進化すれば、幸福は手に入ります。
でも、自我が受け止めるのを嫌がると なかなか進化できません。
問題解決を手伝いすぎると 相手の進化を遅らせます。
その人は常に誰かに色々解決してもらいたがるようになります。
 
 
小さな子供やお年寄りでなければ、
その人の代わりにその人がしなければならないことを肩代わりしてはいけません。
自分でさせます。
自分でできる力があると信じて自分でさせることはとても大切な学びです。
そうでなければその人はいつまでも自立できません。
これはとても不自由なのです。
他者に依存しなければ心地よく暮らせない。
不自由です。
 
やってあげる方が簡単なこともありますが、本人にエネルギーがあるなら信頼しましょう。
成長することを信頼するのです。
 
愚痴は、単なるカルマの解放なのでただ出すだけのゴミのようなものです。
ゴミを拾い上げる必要はありません。
ゴミ受けを受け止めてその人が明るさを取り戻すなら受ける甲斐もありますが、そうでなければ、スルー。
突き返したり(否定)せずに ただ流していけば終わっていきます。
 
自分が摩擦を起こしている時は、感情を解放して手放します。
 
本人が何をしているか 自覚することはとても大切です。
それぞれが体験して法則性を理解し進化します
これが人生の学びです。
 
意識が浄化されていくと
流れがスムーズになり、豊かさが舞い込みます。
愛の波動の温かさと大きさを実感してくださいね。
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真我の意識からスタートする新しい人生の始まりです。

 

 

 

 

解放 手放すこと

解放のパターンについてお話してみます。
感情が揺さぶられたり、動揺したり、怒りを感じたり、悲しみを感じたり、気分が落ちたりする時
それは感情の解放です。
瞑想をしていても瞑想をしていなくても感情の解放は起こります。
自然なエネルギーの流れです。
 
感情は起こり、表現してエネルギーが外に出て行きます。
 
とても自然な形では その時々に子供のように喜怒哀楽が起こりますが、
大人になるほど、自然な感情は抑えるようになります。
周囲への影響を配慮してのことで、社会的にそれを求められることも少なくありません。
家庭や学校でそのように教育もされます。
 
人前で出さないことが美徳のように思われてしまって
過度に抑圧してしまいますと、
内側のエネルギーが出るところを失って内圧が上がり
具合が悪くなってしまいます。
 
他者の負のエネルギーをもらってしまった時も同じことが起きます。
 
怒りを向けられたり、愚痴を聞いたり、した時によく起こります。
特に元々溜め込んだものが沢山あると それが同調しますので
思いっきり具合が悪くなります。
 
 
具合が悪くなるその感情は相手のもののようで実は自分の中にあるものです。

(多くの人が同じものを共有しています)同じものに同調してしまうのですね。
でもそれで、それが自分の中にあることがわかります。
普段は奥の方に隠されているので 無いように感じていたりします。
でも、外側の波動につられて ひょっこり顔を出します
「いますよ~」って。
 
そういう時はラッキー
何に拒否しているのかを見つけると 手放すのが簡単になります。
 
嫌だ  という摩擦の感情
抵抗する摩擦の感情を手放します 
ただ、それがある
という認識だけにしていきます。
あるがままにさせておく  のです。
 
この世界に良いも悪いもない ただ起きることが起きているだけ
 
何かしてあげなければならない ということもないし、奪われることもない。
あなたは自分がすることを選べます。
したくなければしなくてもいいのです。
 
 
そうすると、やらされる  という意識がなくなっていきます。
 
いい人でいるために自分自身を犠牲にしていると
自分も他人も好きになれません。
 
まず 自分自身を愛する事
それができて、他者も愛することができるようになります。
 
全ての出来事に責任を取ることなどできません。
一つの出来事ですら 誰の責任でもありません。
ただ、起きることは起きるのです。
過剰に自分自身に責任を課さないでください。
罪悪感は手放していきます。
 
あなたの責任ではありません。
あなたが責任を負いたいなら止めません。
でも この世界は 起きることが起きるように出来ているのです。
それは思い通りにはなりません。
 
流れに任せると  勝手に解決することも多々あります。
ジタバタしない方がいいのです
気を揉ます大きく構えて下さいね。
 
ただ眺める練習してみませんか?
あるがままにさせておく。
 
解放して 治まっていきます。
自然体で行きましょう。
コスモス

あるがままの美

私はどうしてこんな風なんだろう?

と悩むことがおありでしょうか?

 

植物

肉食動物
 
草食動物
 
回遊魚
 
 
いろんな生き物がいます。それぞれの性質があります。
どの生物が素晴らしくて
どの生物が忌まわしい
とかいう問題ではなくて
それぞれがそのように生まれて
それぞれの生涯を全うする   ということ。
同じにはできません。
そこに良いも悪いもありません
 
私達人間にも
与えられた要素、与えられたカルマがそれぞれにあります。
宿命は選べるか?といえば選べないし、
経験も選べるようで選べない
なるようになっていくのです。
意図する事すらプログラム、カルマか宿命かもしれないのです。
思い通りにならない ということを受け止めるのが
人生の課題 悟りの道 でもあります。
 
あるがままを 受け止めきった時
そこには 存在の喜びが輝き始めます
 
ああ、生きているんだな と shineconfidentshine tulip
 
あるがままに咲く潔さは美しいものです
何も飾る必要もありません。
誰かに見せるために咲いているのではありません
あなたが存在を謳歌する ということです
 
なずな
 

執着の苦しみ

瞑想で執着の思いは取れますか? というご質問がありましたので
回答を書かせていただきます。
 
 
 
瞑想で 煩悩や執着は消えていきますね。
 
ただ、苦しみはある程度通過します。
出て行ってくれないと無くなりませんが、出る時に苦しいです。
日常的に瞑想をしていると、瞑想時に出てくれる分は 意識に上がらないことも多いので
その分が楽になります。
 
解放の苦しみは必要な苦しみ と言えると思います。
 
苦しみが無ければ懲りずに執着しつづけてしまうでしょう。
 
エゴの思いは強いです。
 
ただ、執着するものは 失う運命にあります。
執着が怒り、悲しみ、恨み を 生みます。
 
持ち続けるか 手放すか は 私達次第なのです。
 
摩擦の感情(カルマ)は それがどういうことなのかを教えてくれているのです。
 
手放してください。
愛に変わるまで。

ストーリー

すっかり秋になって 過ごしやすい気候です。

私は秋の空気が大好きですが、

友人の中には 夏が終わると気持ちが塞ぐ という人がいます。

胸の中にポッカリ空いた穴にヒュウっと風が吹き抜けるような

寒さ?みたいなものを感じる と言っていました。

これは何人かの人が言ったので

1人だけに起きることじゃないんだろうと思いました。

私にはそれはありません。なぜかはわからない。

 

今はありませんが、若い頃、

春の陽気が苦手でした。

暑くてのぼせてしまう のです。

光に溢れた世界が眩しすぎて苦手だと思っていた時期もありました。

 

これらは体感でそう感じているので

気温や湿度や血流の問題なのでしょうが

それに感情が伴うのはなんだか不思議ですね。

何らかの記憶がそこにくっついてくる というのもあるでしょう。

 

物覚えが良かった頃は

常に何らかの記憶と一緒に過ごしていたようです。

私をいじめた人や傷付いた痛みの記憶

再び傷付くことへの怖れ

私の痛みのことを人に理解してもらいたい という強い思いがあったように思います。

それを分かってもらえないことが痛み なように感じていた

だから 人と親しくなる時には まず自分のストーリーを語らねばならなかった。

私はこんな風に思っている

私はこんな体験をした

だからこんな風なんだ

それを理解して受け入れてもらわねば 自分を受け止めてもらった気がしなかったのでした。

更に、語っても語っても 言いつくした気がしないので、自分語りはやみません。

言えば言うほど更に誤解されそうな気がしてくるので、もっとああだこうだと自分の気持ちを語り、最後は自分自身で収拾がつかなくなって混乱してしまいます。

・・・なんて面倒なことでしょう。

まるでもつれた糸でした。

それをまた言葉でほどこうとするのですから 際限がありません。

瞑想をしてカルマが落ちるまで その傾向は続いていましたね。

今は、そういうことは一切必要ありません。

だって、あるがままの自分で充分だからです。

過去の話は 必要が無ければ思い出しもしません。

そんな終わったことはもうどうでもいいことになりました。

ただ、思い出せばその時感じていた感覚は覚えています。

今、それと同じものを感じている人の感覚に共感することは簡単です。

そして、その 今 苦しんでいる人に言いたいこと

 

自己イメージと格闘する必要はありません。

あなたはそのままのあなたでいいんです。

おかしいことも悪いこともありません。

可笑しいという人がいてもそんなものは放っておいて言わせておけばいいんです。

色んな価値観やこだわりがあって それは人それぞれなのです。

誰かに合わせる必要はありません。

ただ、違いがある ということを認識してください。

自分の身体が感じていることは 今のあなたの真実です。

ただ、過去の記憶に怯えることは無用です。

生きていればいろんなことが起こります。

色んな偶然といろんな縁によって

あなたの前に現象が現れます。

それは一過性のものであり、あなた自身が無意識のそれを好んで引き寄せる運命です。

そして どんな苦悩の体験も すべてがあなたを磨く体験です。

あなたの魂は 汚れることなく輝くことができる ということを気付くための試練です。

あなたが あなたの命を輝かせたい と 望んだその時から

あなたは輝くことができる人になります。

目立って、人目を引く ということが輝くと勘違いしてはいけません。

あなたの好きなもの、好きな姿、好きなシチュエーションがそれかはわかりません。

真の輝きは マインドの意識を越えたところにあります。

何もない ただそのままの自分自身を愛して、

この世に存在する事を楽しんでください

それだけであなたは輝けます。

カルマの感情(苦しい感情)に埋もれている と思ったら

瞑想を始めてくださいね。

瞑想はカルマを浄化します

カルマが減れば減るほど

ただ 命を実感する時を 体験します

あなたが マインドから解き放たれた時に それは起こります

ドイステープ

探し出す

人生の中での悟り というのは

すごい大規模な ヒントのない宝探し のようなものです。

何十年も 何世代もかけて探している宝 が 悟りの体験で、

最初は全くヒントも何もない。

ただ、

誰かが語り継ぐ教えによって導かれ、悟りに到達したり、

あるいは、何かの拍子に見てしまった人は、

「あるよ~」って言えるんですが、

何分にもそのお宝、見えないし触れない。

食べちゃったリンゴがもう無いみたいに 

その味は 味わった人にしかわからない。

味は言葉で説明しても伝わらない  

ただ、知ってる人だけが知っていて 

伝えられるとしたら、それを体験するための方法ですね。

しかもそれが 簡単なようで難しい。

 

でも、難しくしてるのは私たちの意識の方なのです。

思い込みを手放して 何者でもない私になったとき

それは現れます。

 

だってそれは もともと私達そのものだからです。

何もくっつけない素直なあなたでいてください。

たんぽぽ

台風

5日のオンライン瞑想会ご参加下さった方ありがとうございました。

台風の進路が気になりますね。

 

台風10号の中心気圧は 920ヘクトパスカルまで下がったようで。

これは史上最大の室戸台風の911hPaに次ぐ気圧の低さ。

史上第2位の伊勢湾台風より勢力が大きくなっています。

今回は九州地方が台風10号の進路で被害が懸念されます。

町中のスーパーの商品がほとんどなくなっていました。

停電やライフラインが機能しなくなった時の対策なども必要で

お店が大混雑

カセットコンロが売り切れと聞いてガッカリするおばあちゃんがお気の毒でした。

備蓄や備品準備は早めが良さそうです。

避難についても早めに移動しないと暴風になると外を歩けませんのでお気をつけください。

海の近くのおうちは 高波が津波級になるかもなので

強風圏に入る前に安全な場所に避難したほうが良さそうです。

雨も多いそうで 地盤の海抜が低い所や 大きな河川のそばも注意ですね。

3年前の北部九州災害の時、テレビでしきりに 命に関わる危機と発信していた時、

私達人間は そこまですごいとはピンと来ていなかったのですが

過ぎ去った後の爪痕に愕然としていました。

今回もそれに匹敵するものが来るので

くれぐれも 早めに安全な場所に移動してください。

目の前の危機には全力で対応します。

 

なぜここまで大きくなっているかも聞きました。

今年まだ台風があまり発生していなくて、海がかき混ぜられてなかったので

海水温がかなり上昇していたのが原因とのことでした。

高い海水温が大型台風を生むんですね。

圧が高まっているのに 解放せずにキープしていると

圧が溜まりすぎて、爆発的な力を持つようになります。

人間の感情も同じですね。

我慢強い人ほどエネルギーを貯め込んでしまうので、

いざそれが決壊した時に放出されるエネルギー量が破壊的なのです。

 

カルマの感情も 抑え込んで来たなら 今は この機に

手放して 天にお返ししてしまいましょう

解放は 早めに小出しにね!

制御できないほどの量は 一人で抱え込まないように。

そうそう、もう沢山! なのですよ、手放しましょう。

パン!と弾けた風船は

しぼんでしまえば もう怖いものは残っていません。

詰まったエネルギーは放出されます。

それは自然なことなのです。

台風も、無駄に起きるのではありません。

滞った空気や海水を揺さぶりかき混ぜて 全体をリフレッシュする働きが地球にはひつようなのでしょうね。

「こんな澱んだ空気は嫌だ!」 そう怒っているのかもですね。

地球は生きています。

自然と共存するには 自然に優しくする必要があります。

支配 ではなく 共存と愛 を。

台風の雲

明日6日 22時から オンライン瞑想会をします。

zoomを利用したオンライン瞑想です

瞑想が初体験の方もご参加いただけます。ご家族とご一緒にご参加下さい。

瞑想の波動は地球を癒す

意識の世界と物質界を繋いでいるのはあなたです。

22時10分前に ⇓ こちらをクリックしてください

 https://us02web.zoom.us/j/86176358246

 

 

気付いて欲しい事・枠の外側の世界

先にお知らせです。

9月のオンライン瞑想会、日程を追加しています。

前回のブログを訂正更新していますので ご参加されたい方はご確認くださいませ。

 

さて、本日のブログ

ノンデュアリティ・非二元を説く 心理セラピストの溝口あゆかさんの投稿をシェアさせてください。

悟りの本質を深く理解された方です。

私たちの世界観、私たちの認識 というものは 実はとても狭くなっている  ということに気が付くまでは難しいのですが、

気が付いてしまった人にとっては、もう狭い世界に戻ることはできません。そんな窮屈すぎるところに戻りたいなどと思えないですから。

何がそうなのか? ということには 枠を出るまでなかなかわかりませんが、

溝口さんのお話は 抽象的なものをとても的確にとらえていて 上手に表現してくださるので 伝わりやすいです

皆様もぜひご一読ください。

この世界観が掴めますと 悟りは近いですね。

まだわからなくてもガッカリしないでください。

そのうちわかるようになります。

 

あゆかさんの投稿をシェアいたします。Facebookに入っていない方もぜひお読みください

 

https://www.facebook.com/hisako.notsu/posts/3328845037154490

 

溝口あゆかさんは イギリスと日本を行き来しておられて両方の国でセラピストとして活躍されています。

私がEFT療法を知ったのも、あゆかさんのお話を聞いたからでした。

「悟っても(心の)傷があれば痛いものです。

痛みは癒すしかない。それに効果的なのが EFT療法」

そうです。そしてELM瞑想も。

EFT療法とELM瞑想、アプローチは違いますが 両方とも癒す効果が大きいのです。

EFT療法はフォーカスしてカルマをあぶり出して意図的に排出する手法

ELM瞑想は 無意識化の負のエネルギーを排出して 自覚のないまま 負のエネルギーが抜けていきます。

トラウマが強烈な方は 解放が痛みを伴うので、

局部的な治療としてEFT療法が痛みを取り除きます。

この効果は体験してみてとても不思議でした。

封印していた感情が 具体的に出てきたり、

止まったり、消えたり しました。

効果が大きい分、扱うセラピストの経験と技が物を言うと思います。

私はこの手法は割と得意なんです。

瞑想をお教えしていく中で カルマの解放が強い方にはお薦めしています。

人が幸せになるために制限など作る必要はありません。

私たちの精神は 宇宙のように広いものなのですから。

決して言葉などにもとらわれないでください。

真理は言葉では言い表せません。

それは 体感でしか知ることができないのです。

 

とらわれない体感

限りない自由と 広大な意識

そこにあるのは 愛 です。

 

溝口あゆかさんのブログ ⇓ も ぜひご覧ください。

オープンアウェアネスダイアログのサムネイル画像

 

認識のない世界は 最初は戸惑いますが

だんだんわかって来ると、大変面白いものです。

恐怖が剥がれ落ちる時が

あなたの新しい誕生日となるでしょう。

今を生きる

好きと嫌いの科学

好きなもの、きらいなもの、

それは、、、好いたって嫌ったって どっちでもいいんですよ。

嫌いたいなら 嫌ったっていい。ダメってわけじゃないんです。

 

でも 嫌いなものがあると嫌な気分になりますよね。嫌ってる本人が嫌な気分になるんです。

そしてその嫌な気分を向けられてる対象も 嫌な気分になります

それが自分自身だとしたら ダブル嫌な気分 shock shock

他人が嫌いなだけでも嫌な気分なのに? 嫌な気分になりたいのか?

なりたいのかも・・・。。。???

 

相手のせい というより、これは嫌っている本人の問題だったりします。

あなたが見る世界は、あなたが意味を持たせて作っている世界観なのです。

どんな世界で暮らしているかを、自分自身が意味付けして作っている。

 

「意味がわからないわ!」と思う方もおられるかもしれません。

自我の視点から見るだけだと 意味がわからない。 全く別次元からの視点で話をしています。

ここ(意味について)を突っ込んで話すと長いので これはちょっと置いておき 話を進めましょう。

 

なぜ 嫌いなのか?を分析してみます。

生理的にキライ なんて言葉がありますが、本当は理由があります。

娘が父親を邪険にするホルモン的な理由もあるでしょう。

それは生物学的に守られたDNAの情報です

DNAは感情の記憶も保持しています。

心の奥深くにしまい込んだ原因 瞑想者たちはそれをカルマと呼んでいます。

過去にそれでとても辛かった体験 あるいは過去世で苦しんだ痛みの記憶

先祖の業、強く刻み込まれたルール DNAに乗った情報の一つでもあります。

それらは反応として身体に染み込んでいて、その記憶にまつわる事柄に拒否反応を作ります。

嫌だ と決めたことに反応しています。

これは嫌だと思う理由が消えると 消滅する反応です。
(理解と体験でDNA情報も書き替えられます)

 

自分が嫌い  と思っていたのは 思い違いなんです。

欲しいものが手に入らないのは この自分のせいだ と思っていたでしょ?

違います。

自我のマインドは手に入らない理由を探しだそうとするんです。

でも、理由なんて1つじゃない。

別方向から見れば、

それは まだあなたのものになる運命にはなかった。

それはあなたの下から去る宿命だった

それは あなたがカルマを解放するための体験だった

それはあなたにとって 大切な学びの過程だった

とも言えます。

そして どんなにそれを留めておきたかったとしても

執着するものはあなたから離れていきます。

悲しいことに執着が強ければ強いほど、去ってしまいます。

去るものは愛で見送ってください。

それらが行きたがる方向に自然にさせておきます。

それが調和の流れです。

目の前に在るもの それは全て流れの中にいます。

あるがままにさせておいてください。

あなたがどんな理由や正当性を持ち出したとしても

大いなる流れは止められないし、あなたが発する波動次第で

周囲のものは流れます。反発するもの、引き寄せられるもの。

それは自然の法則通りです。

それを知らずに文句を言ったところでどうしようもない。

 

本当に望むような現実を求めるなら

この世界の波動と流れ、エネルギーバランスを無視してはできません。

あなたは 宇宙の法則をご存じでしょうか。

フラクタル渦巻き

 

次回へ続く